僕がコロナ禍において、有観客コンサートの参加を再開させたのは、9月下旬のことだった。
「Slow Live」というアコースティック風のコンサート、Salyuなどが出演した日に参加した。


僕が再開をこれにしたのは、「恐怖感に対する払拭」の意味合いがとても大きかった。
大勢集まる場所へ行くことの恐怖、それ以上に東京都心部へ行くのも久しぶりで、恐怖感をまず払拭したかった。
頭では多くの人が都心部で働いてるから大丈夫、わかっているが、行っていないと不安になるものだ。
(こう考えると、東京から離れたところに住んでる方が、東京が怖いという気持ちを抱くのも無理もないかもしれない。。)

リハビリという意味では、この興行は素晴らしい。

・会場の東京国際フォーラム自体が綺麗で、空調の良さが信頼できる
・おとなしいコンサートなので、映画館感覚での鑑賞が可能である
・チケットが売り切れてなかったので、当日までに参加可否を決められる


チケットを所有している場合行かなければチケット代が勿体ないので、東京がどんな状態であろうと行かなければいけないような義務感が発生する。
楽しみの気持ちと不安との両天秤で生活するのは、なにげにストレスである。
前日までに購入、もしくは当日券で飛び入りで参加できるコンサートというのは、実はとてもありがたい存在である。
(コンサートに慣らしたい方は、まずこういった当日券のあるようなコンサートに思いつきで行ってみる、のがおすすめ)


コンサートに関しては、演者よりこちらがむしろ緊張していたと思う。(それはないかw)
なにしろ、大人数の密集地帯を控えろと言われており、ソーシャルディスタンスを保ちながらとはいえ、久々の大人数が集まるコンサートホールである。

でも。

開演ともなればそれがなくなり、徐々に前の感覚を取り戻していった。
10分、20分、と経つにつれ、音楽にリラックスしている自分に気が付く。


あぁ、僕は音を浴びている


「浴びる」というのは、生音のことである。
僕はこの半年間、パソコンやスマートフォンやテレビから流れる映像をたくさん見た。
それに癒されることも多々あったし、助けられた面もたくさんあった。
でも、コンサートに行ってみて、生の「音を浴びている」という感覚、これははっとさせられた。

コロナ前は、コンサート巡りが趣味で、この音を浴びる感覚ももはや日常化して、意識して感じてはいなかったことにも気づく。
それが半年ふさがれたことで気づかされたのだ、「音を浴びている」感覚。


音を浴びる、その感覚が宿ったとき、僕は鳥肌が立った
特に、僕がファンであるSalyuが、大好きな曲「HALFWAY」を歌いだしたとき、心が震えた。
僕は開演当初の緊張感など忘れ、コンサートに酔いしれるだけ、空間と音が作り出す世界観に浸っていた。
そして心地よい涙を流したとき、「生きてる」という実感がわく


そうそう、この感覚だ


11月上旬にも2つのコンサートに行ったが、このときは前述の緊張感や恐怖感がある程度払拭されたことで、さらにこの「音を浴びてる」という感覚を強く感じた。


僕にとって、「音を浴びている」ことは、「生きてる実感がわく」ということ。
 

そう思った。



とはいえ、この11月下旬に差し掛かろうというタイミングで、再び厳しい状況が展開されている。
しかし、前のようにコンサートは自粛せず対策をして、よほどのことがない限り実施されるだろうから、これまた悩ましい問題が出てくると思う。


コンサートに行って大丈夫なのか問題


これは、感染が怖い、とかだけではなく、家庭でもめ事が起こったり、仕事関係であったり、都道府県レベルの自粛要請があったり、などなど。
実施されるという年末恒例のCOUNT DOWN JAPANなんか、まさにそれで、連日アーティスト発表がされるのと同時並行に、刺激的なニュースが報道されるものだから、「行きたい」と「怖い」が同居して、正解のない答えを探している状況である。

楽しみ > 不安  なら申し込めばいいし、
楽しみ < 不安  ならやめればいいのだけど、


僕の場合これがコロコロ変わるので、まだ申し込めずにいる。
不安を感じながら当日を迎えるというのも結構なストレスだし、、

どの公演もチケットが当日に手に入って、楽しんで、という繰り返しができたらどれだけ良かったか。
人気公演はチケットを取るところからが始まりなのでね、、
音を浴びて感動する、という体験はできた、あとは


チケットとってワクワクして当日を迎えることができること


これが出来て、またコンサート興行はひとつ前進できたと言えるのではないだろうか。
はやくそのフェーズに入ることを期待してやまない。