2週間限定で公開されております、「MY FIRST STORY」の映画を観てきました。

 

 


先日僕は、ONE OK ROCKのボーカルtakaの弟、hiroがボーカルのこのバンドについて、聴いてみた印象を記事にしました。

http://ameblo.jp/hiroaki1102/entry-12241679154.html


「ワンオクとの差別化」を図ってほしい、あまり叩かないで、というのがその記事の主旨です。

で、やっぱりどんなバンドなのか知識が浅すぎではないだろうか、ということで、せっかく興味を持ったわけだし映画を観てきました。

 

今日はそれを踏まえた感想。
なので、

 

 

ネタバレ注意!!

 

 

 


観る予定がある人は以下は観ないでくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(今日はコラム調で)


2014年、ONE OK ROCKも映画を制作している。

 

 

 

 


そう、まさにワンオクに興味を持ったのもこの映画を観たのがきっかけだ。

http://ameblo.jp/hiroaki1102/entry-11996208044.html

 

 

メディアの露出がほとんどないので“知る人ぞ知る”、かつてのBUMP OF CHICKENのような売れ方を彼らは今していて、アジアを中心に世界ツアーを行い、最近ではベーシストRyotaがアヴリル・ラヴィーンの妹と結婚したとかで話題になっている。
今年は大規模な日本ツアーを行い、ツアーゲストにはあのMr.Children(!!)が呼ばれるなど、誰もが認めるビッグバンドである。

 

ワンオクは2006年デビュー、いっぽうでマイファスは2012年デビューだ。
takaとhiroの年の差が6歳なので、ほぼ妥当に兄貴の背中を追っている流れだ。

 

ワンオクの映画との違いは一目瞭然だ。
ワンオクが家族などのバックボーンに一切触れず世界ツアーのドキュメンタリーに終始したのに対して、マイファスは47都道府県ツアーと日本武道館公演密着、とあるものの、家族のことに触れ、親や兄のこと、どう思っているのかまで詳しくMCやインタビューなどで語られている。

マイファスが日本武道館公演を終えた日、ネットニュースでは「ワンオクを超える!」と発言したとかで話題になった。
この部分だけを切り取れば、若さや兄弟コンプレックスゆえのイタイ発言、と思った人がいただろう。
確かにその発言をした部分はあるのだが、この映画を観ればちょっと印象は変わったものになる。

 

以下、hiroの発言の抜粋だ

 

「6年前、彼ら(ワンオク)のライブを見て、いつか一緒に立てたらいいなと思った」

 

あれ、敵視しているどころかリスペクトすらしている発言だ。
兄貴に憧れている気持ちは、デビュー前は確実にあったようだ。
しかし、デビューしてみた世の中の反応がhiroを苦しめることになる。
それはすなわち、

 

「親の七光り、兄の二番煎じ」

 

という揶揄の言葉の数々だ。(僕もその感情を抱かなかったかといえば嘘になる)
そして、音楽活動をしていくなかで共演が難しいと悟り、前述の「超える」発言につながるわけだ。


しかし、本当に敵視しているのか、といえば僕はそうではないと思う。
takaとhiroの立場で、「親の離婚」という傷をどう負ったかを考えれば、その複雑さも理解できよう。

 

森進一と森昌子が離婚したのは2005年のことである。
takaは当時18歳、hiroは12歳である。
僕が思ったのは、この年齢差が重要な意味を持つ、という事実だ。
hiroは映画でこんな発言をしている。

 

「兄が経験した6年を僕は知らない」

 

今からデビューという段階(すなわち独り立ち)での親の離婚、かたや中学生にあがろうとするタイミングの親の離婚である。
そしてhiroは「いじめられていた」という発言もしている。
兄は心の傷を武器に、今やカリスマ性を持つバンドのフロントマンへと成長していた。
ではhiroは、どうか。思春期の心の傷が強く残っているのではないか
僕には、hiroは心の傷が癒えておらずいまだにもがいているように思えてならなかった。


ワンオクの曲で「Nobody's Home」という曲があり、親に向けて歌ったというのは有名な話だ。

 

「僕は何度も裏切ってきた」
「気づけばバラバラになっていった」
「本当に迷惑ばかりかけてきたから」

 

反抗して尖ってた時期を反省し、感謝の言葉を述べる、感動的な曲である。


そしてマイファスもhiroの作詞作曲で「Home」という曲があり、日本武道館で最後の最後に披露された。

 

「小さかった日々の思い出はなくて僕一人だけが余り続けていた」
「僕は何もできずに泣いていた」
「あの人にあの人たちにこの声が届くまでは抱えずに叫び続けるの」

 

hiroの、家族の中で感じた疎外感がひたすら綴られており、「Nobody's Home」とは違い家族全員に向けられた叫びと感じられる。
その曲を歌う前のMCが肝心だ。

 

「できればまた、5人で集まりたい。。お父さん、お母さん。。」


涙ぐんでこう言ったのだった。
これが本心だと思う。
ライブ後に父親の森進一が抱きしめ、「よく頑張った」と小さな声で伝え、hiroが泣く。

 

愛情不足、愛がよくわからない、家族の温かみを知りたい、それができないのならバンドを頑張るしかない、兄貴を抜いて東京ドームに、、

 

何をそこまで自分を追い込まなくても、と傍から見て思ってしまうが、hiroは、親の離婚による心の傷、家族がバラバラになり集まれないことへの絶望、世間からの揶揄や苛立ち、いろんなものを抱えて混とんとしてるように思う。
観ていて苦しくなってしまって、気が付けば僕は泣いていた。


目指している人に対して言うことじゃないかもだけど、東京ドームを満員にするのは容易いことではない。
ヒット曲を量産し、もっともっと知名度を上げる必要があり、「ワンオク」の名前が出ないほど大きくなる必要がある。
それ以前にマイファスの音楽性が大衆受けするのか、という疑問がぬぐえない。

 

目指すものがあるのはすごいし頑張ってほしいけれども、hiroにしか歌えないことがあることをもっと歌うべきではないのか?と個人的には思っている。
「兄の二番煎じ」と言われてしまうのも無理はない、と思う点がいくつかある。

 

・声が似てる
・アレンジが似てる
・英語詞が多い

 

声が似てるのは仕方がないとして、兄と同じ英語詞が多いのは、伝えたいことがたくさんあるであろうhiroとしてはもったいない。
(もっとも作詞作曲メンバー全員で行っているようなので何とも言えない部分はあるが)

アレンジでシャウトが多く英語詞が多いのは、言うまでもなくリスナーは内容よりメロディやノリ重視である。
(英語を和訳し理解しようとする人は少数だろう)
「Home」のような素直な気持ちが書けるのなら、もっとこの痛み、傷を歌詞にできないものか
ワンオクとの差別化を図るとしたら「そこだ!」と思ったのだ。
hiroは大きな心の傷を抱え疎外感を感じて育ったのだとしたら、その気持ちを思いっきり吐き出すこと、すなわち「hiroにしか経験していない人生経験」を歌詞にすることで、彼自身も救われるだろうし、ワンオクより共感する、という人も出てくるのではないだろうか

 


以上の意見は僕の勝手な妄想であり、この意見が採用されるとも思ってはいない。
しかし、事実としてワンオクと差別化が図られてない音楽をやっているのは、才能はあるのにもったいないと思ったし、どうか報われてほしい、と思ったのだ。

 

僕は「東京ドーム公演」を目指すよりも「オンリーワン」を目指してほしいと思う。
その方が彼自身も報われるだろう。(何よりもそれが大切だ)


バンドは生き物のように変化を遂げていくのは他のバンドを見てもわかる通りだ。
今後もマイファス、ワンオク、ともに注目していきたい、そう思った次第である。

2バンドともガンバレ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あとがき


なんで突然「常体」でこのような文章を書きたくなったかと言えば、

 

村上春樹の新作を購入し絶賛読書中だからであります(笑)
 

文体も似てない?笑