今から81年前の昭和16年、当時の益田、高津、吉田の3町が合併して石見町となり、翌々年に益田町と改称しました。その益田町と、安田、北仙道、豊川、豊田、高城、小野、中西の7村が合併して益田「市」が誕生したのが昭和27年8月1日であり、これが本年を市制施行70周年とする起算点となっています。その3年後、鎌手、種、真砂、二条、美濃の5村と合併した益田市は、さらに平成16年に美都、匹見の2町とも合併し、現在に至ります。

 

人間が誕生から70年経過すると「古希」となります。語源となった「人生七十古来稀なり」という一節を詩に詠んだ杜甫(とほ)は当時47歳でしたが、その12年後、還暦の手前で亡くなっています。生涯多病だった唐代の詩聖にとって、70歳という年齢は気の遠くなるような長寿だったのかもしれません。

 

保健・医療が進歩した現代、「古希」はさほど稀ではありません。しかし、大相撲の世界においては戦前の大横綱が打ち立てた大金字塔がこの言葉に不思議な説得力を与えています。

 

一場所が15日、年に6場所もある現在と違い、年にたったの2場所、日数も11日または13日までしかなかった昭和11年から14年にかけて、双葉山(ふたばやま)はおよそ3年もの間無敗のまま前頭2枚目から横綱まで一気に駆け上がり、ついに空前の69連勝を達成しました。

 

それだけに、その翌日のまさかの黒星の直前、実況中継のアナウンサーが「七十は古来稀なり」と述べたのは二重の意味で大予言となりました。というのは、その後にそれぞれ一時代を築くこととなる大鵬、北の湖、千代の富士、白鵬などの大横綱が、一つ、また一つと勝ち星や優勝回数の記録を塗り替える中、69連勝だけは今のところ誰も及ばないからです。

 

11月3日、「ふれあいホールみと」において開催する益田市市施施行70周年記念式典は、ときに栄光に彩られ、また、ときには苦難にも満ちた本市70年の歩みを改めて振り返る機会となります。市民の皆様とともに、先人への感謝の念を新たにし、今後のさらなる発展に向けて大いに機運を高めたいと思います。