vol.441  2023年1月20日
今日、実家の母親に頼まれて知人に辛子明太子の発送を手配してきた。
家から500mほどの所に「ふくや香椎千早店」があるのですぐに行ける。
同じ物の味見、確認用に家庭用の小さいのも併せて購入する。現在、常温にて解凍中
むふふふ、後で美味しくいただきませう。

博多名産の辛子明太子のお話しを簡単にご紹介。

韓国でスケソウダラはミョンテ(明太)と呼ばれる。タラコは明太の子だから明太子となる。
ところで博多にはスケソウダラの水揚げはない。
それでは何故、辛子明太子が博多の名産品となったのであろうか。

それは“ふくや”の創始者である川原敏夫氏が釜山で生まれ育ったことに由来する。
彼は終戦後 博多に引き揚げてきて、海産物の商店を始めた。昔 釜山で食べたタラコのお惣菜の味が忘れられず、日本人好みの味にした“辛子明太子”を作り出し、店の名物にしてやろうと あれこれ試行錯誤を繰り返した。
最初は辛すぎると評判は良くなかったが、色々工夫を重ね、徐々に人気商品となっていったらしい。どんどん噂が広まり、お客が増えていったとか。
当然 真似をする業者も出てくるが、自分が編み出した独特の調味液に漬け込むやり方に製法特許は取らなかった。それも考えあってのことだったらしい。
“うちの味だけ守っても知れとる。みんながそれぞれ色んな味を作って、博多の名産になればヨカ”
とばかりに作り方の教えを乞う者には惜しげもなく教えたらしい。
彼の意図どおり辛子明太子は博多の名産品となった。
新幹線の博多延伸(1975年)を機に辛子明太子が手頃な土産物と持てはやされ、全国にその人気は広まっていくこととなる。
創業者の心意気は二代目にもしっかり引き継がれている。“元祖”とかの名称をつけてはどうだと勧められるが、“元祖を名乗って味が良くなる訳でもなし、皆が競って色んな明太子の味ができれば良い”と受け付けなかったとか。
元祖だ本家だと争う者には耳が痛い話しになるかも。

現在、いろんな店から明太子が売り出されているが、普段使いは別として、贈答品には(創業者に敬意を持って)
”ふくや“を選ぶようにしている。