vol.87 2020年5月27日
自分が発言した事には責任を持つ。感じた事 思った事はありのままに述べ 間違えを指摘されれば謝罪し訂正する。これは当たり前の事と思うのだが。
会話の上では言った言わないの争いになる事もあろうが文字として残る場合は言い逃れは効かない。だから書き残した物には明確な責任が生じる。話した事が記録される場合も同様であろう。
全ての見解が検閲や規制をされる事なく表明できる権利は「言論の自由」と呼ばれる。しかしこれは何を言っても良いという訳ではない。公共の福祉や他者の権利を侵害する自由は認められない。
最近いわゆるヘイトスピーチを法規制するかどうかが論議されていたようだが これは言論の自由を大きく逸脱するものとして問題となっているのだろう。
ネット上での発言は特殊なケースだろう。発言は文字として明確に残るがどこの誰が発言したのかその顔は分からない。しかしその言葉に対する責任は存在しない訳ではなく どこかの誰かが負うべきものである。
個人の名誉を傷付けるような発言があった場合 被害者から請求されたら発信者の情報は速やかに開示されるべきと感じる。
サイト運営者側にも個人情報の守秘義務があるのだろうがそこは司法判断を介し裁判所命令という形を取れば良いのでは。
個人が特定されないのだから何を言っても構わない 言いたい事を言った者勝ちという不条理はすぐにも解消されるべきと思う。
言論の自由を統制するのかという声は全くの見当違い。
自由に発言する権利と発言した事に責任を負う事は相反しない筈だ。