vol.85  2020年5月24日
人は誰でも自分なりの価値基準を持っている。それから外れる事象には不快感をもって対処をする。腹が減れば物を食べ 眠くなれば眠る。気に入らない人や物からは逃避するか排除しようとする。大抵の場合は対人関係を壊さぬよう気を使いながらと思うが。
しかし自分の価値基準が正しいと信じて疑わない時 攻撃的な態度を持って当たるようだ。自分は正義であるから悪には制裁を加えねばと思うのか。
ある地方自治体の職員が自粛要請中に営業を続ける飲食店に「…火を点けるぞ」との貼り紙をしたとか。自分の〝正義〟に基づき行動したのだろうが 自分の不法行為に対しては冷静な判断力が働いていない。この職員は感染対策の部署ではなかったそうだが。
自分は何かに疑問を持ち批判をする時にも できる限り色々調べ思い違いのないように気を付けている。感情レベルで批判をしてしまっては取り返しがつかなくなる事もあるだろう。いわゆる誹謗中傷というもの。
しかしこの誹謗中傷が罷り通る事がある。相手と対面する事なく自分の発言にも匿名性が保たれる場合。無責任に感情の赴くまま 言いたい放題の発言には辟易とする。
中には非対面 匿名性をいいことに執拗な〝嫌がらせ〟をする者もいるようだ。自分には攻撃が及ばないと知り相手を攻撃する事に専念する。こうなるともはや正義など関係無くそこには悪意しか感じられない。まだ自分はそのように不条理な目にあった事はないが当事者の心理的苦痛は想像できる。
ある人が若くして急に亡くなった。一部ではネット上での誹謗中傷を苦に自殺したのではとの臆測が流れている。真偽の程は知らないがあってはならないことだ。もし本当であるなら人の醜さと人の弱さを考えさせる出来事だろう。
非対面 匿名である時にこそ その人の人間性がでると思う。自分はどのような時にでも人として恥じない言動をとりたいと思う。