vol.68  2020年5月2日
あと10日後の5月12日は国際看護師の日だそうだ。 
フローレンス・ナイチンゲールが生誕してもうすぐで200年を迎える。

1820年5月12日 彼女は裕福な家に生まれ幼少より何ヵ国語もの言語 哲学・数学を始め数多くの学問や芸術の教育を受けた。
ある時 慈善訪問の際 貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにし、人々へ奉仕する仕事に就くことを決心したという。
1854年 クリミア戦争が勃発し  ある新聞記者が負傷兵の扱いが後方部隊で如何に酷い状況であるかを伝えた。
彼女は自ら看護婦として従軍する決意を固める。
兵舎病院は必要な物資も供給されず極めて不衛生な状態であった。
当初 看護婦団は従軍を拒否されたが 病院の便所掃除から病院内の業務へ割り込み 病院内全体の衛生状態の改善に努めた。
彼女の看護経験はクリミア戦争従軍の2年間だけであったが彼女の活躍は「クリミアの天使」と呼ばれた。
彼女はこれがもたらすイメージを良しとせず「天使は美しい花を撒く者でなく苦悩する者のために戦う者である」と語っている。
当時の兵舎病院の死者は大多数が傷からでなく不衛生から蔓延する感染症によるものと推定されている。
戦後 彼女は病院の状況分析にかかり数々の統計資料を各種委員会に提出した。
例えば当時は円グラフも無かったのだが 原因ごとの死者数を放射線上に数値軸を設け それぞれの値を直線で結び多角形のグラフで表した。
現在レーダーチャートと呼ばれるものだ。
戦時中に作られたナイチンゲール基金によりその後看護学校が作られ 同じような各種養成学校が英国内に作られ、現在に近い看護師養成体制が整い始めた。
1857年 37歳の時、彼女は心臓発作に倒れ、その後は終生ほとんどベッドで過ごし、執筆等の活動にあたる。
赤十字国際委員会は彼女に記念賞を贈っているが 彼女自身は赤十字活動には関わっていない。
むしろボランティアによる救護団体の設立には反対との立場をとる。
「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は長続きしない。…犠牲なき献身こそ真の奉仕」と述べる。
「構成員の奉仕の精神にも頼るが経済的援助なしにはそれも無力である」とも語っている。

現在の日本の医療・看護体制はどうであろうか。
日夜 努力を重ねる医療従事者は感染症との闘いに奉仕の精神で臨んでいる。
足りていない物は 防護具等の物資の援護 危険な職務に対する手当等の援護 …
それと何よりも彼らの奮闘を称える私達の精神的援護ではないか。