こんにちは、ひろあ、です。
発達障害のお子さんの成績アップのサポートをしています。
 
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今日は大学時代の同級生たちと飲んできました。
私はもともと酒が飲めない体質でしたが、より弱くなり、ノンアルコールビールで参戦していました。

お酒は好きなんですけどね。

飲めないんですよ。
まあ、私のお酒の話はいいんですが。

今日、話を聞いてきたいのが難民の話です。
日本でも難民の方々を受けれているNPOとそのNPOの拠点となる地域がありますよね。
 
それはすごくいいことだと思います。
ただ、その方々はいろんな年齢で日本に来ます。
 
私の同級生は小学校の教員なのですが、
母国語もあやふやなまま日本にやってきてしまって小学校に通うことになった子たちが大変だという話です。
宗教の問題から始まり、
内戦の中こちらの来たので運動会のピストルの音にもおびえ、
母国語もしっかりしていないために言葉が話せない、書けない、そして、伸びない。

そして、派遣される日本語教師からカタコトのままで勉強させるのか?

といきなり授業を見に来て言われる!と憤っていました。

日本の子どもたちもそういう子どもを受け入れてくれていますし、
学力的には全くついてこられていない海外の子どもをクラスに迎えながら、
日々悪戦苦闘している友達は素直にすごいと思います。

「日本に受け入れてもらって命が助かったことは本当に良かったと思う。
だけど、このクラスの勉強は十分に進められているかといわれると申し訳ないと思う。」

と正直に語っていました。

コミュニケーションも大変で、
学力的にも足を引っ張っている子どもを受け入れてくれる子どもたちには本当に感謝している。

としながらも一方で、
定着させるべき学力を定着させられていないのでは?

という不安もあるといっていました。

一部の保護者からは表には出さないけれど、不安や不満も漏れている、と。

難しい問題ですね。

命が助かったことは本当に良かったと思います。

一方で日本の公教育というのはこういう形のイレギュラーを受け入れるものの、
受け入れてしまうと子どもたちの学習機会の喪失、もしくは、クオリティの低下と引き換えになってしまいます。

これを担任一人の力でなんとかしろっていうのが日本の公教育の欠陥だと改めて私は思いました。

極端な例だということはわかっています。

しかし、日本の公教育の問題点は、一人の人間に引きずられてしまうという構造上の欠陥を持っているということは知っておくべきです。

だからこそ、学ぶ場所を自分から確保するという視点も必要だということです。

人道的な視点とは別に。

自分の子どもの将来を守るという視点で考えたときに、このことはとても大事です。

明日も、現場の先生から聞いた生の声を書きたいと思います。

ではでは。
 
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