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エジプト学を求めて。

幼少からの夢はエジプト学者になること!高校卒業後に英国へ渡り、リヴァプール大学にてエジプト学を修めました。次の目標は日本で大学院進学&研究を行うこと!

Memphis Museum (outside)

メンフィス博物館の屋外に放置展示されているナニカの柱だった(と思われる)碑文です。

6月にエジプトへ行った際に撮影してきました。




ラムセス2世というエジプト4千年の歴史の中でも、

最も充実した王様生活をした(んじゃないかと思われる)ファラオの残した遺跡の一部です。







陽の当たり方が良くなかったみたいで、ハッキリ見えません。



ということで、自分で書いてみましたとさ。





はい、これが精一杯です。書き慣れてはいるけど、絵心が欠けてるので、これが限界です。



一番最初の方の部分(神様2人)なんか適当はいってます。




ついでにTransliteration(アルファベットで表記)しました。




上から順にカタカナ表記+訳


ラー メス ス(ウ) : 「太陽神ラーは彼に命を与えた」 The sun-god Ra has given birth to him

メリ イメン : 「太陽神イメン/アメンに愛された者」 The beloved one of Amen


ディ アンク : 「与えられた命」 Given life

ジェド ワス : 「安定と権力」 Stability and Dominion

ミ ラー : 「太陽神ラーのように」 Like the sun-god Ra

ジェト : 「永遠に」 Forever





このラー・メス・スウというのが、「ラムセス」のことです。

ラムセスという名前は、これをギリシャ語風に読んだだけのこと。



カルトゥーシュ(王族の名前を囲む枠)の中にメリ イメンまで入っているので、

フルネームは「ラーメススウ・メリイメン」ですね。



訳したら、「ラーに命を与えられ、アメンに愛された者」ということです。




太陽神がどうして2人もいるのかという説明は、また今度。

とにかく太陽神というのは古代エジプトでは有史以来、エジプトの守り神みたいなものだったんです。




面白いことに、王は5種類の名前を持っていたんです。

この名前はそのうちのひとつで、生まれたときに付けられた名前(Birth name)です。

つまり、本名みたいなものかな。他の名前は通り名とか芸名みたいな感じ?


他に即位名(Throne name)、ネブティ名(Nebty name)、

ホルス名(Horus name)、黄金ホルス名(Golden Horus name)があります。



詳しくは、そのうち別記事で書くかも。




名前の読み方にちょっとルールがあって、名誉的移転?Honourific transpositionと言います。


要するに、フレーズに神様の名前が入るとき、その神様の名前が、読み方を無視して、語句の始めに現れるという現象/規則ということです。





青がラー・メス・スウ (ra-ms-sw)・・・と読まなければならない部分。

橙がメリ・イメン (mr-imn)・・・と読まなければならない部分。


ラーとイメンは神様の名前なのでとりあえず頭に出てきてしまう。

だから順番と位置がおかしなことに。






でも、なぜメリmrの部分まで先に出てきているかというと…



「この方が見た目がいいから」



なんです。





いや、本当に。

ウソじゃないよ。


(他にも「メリ・イメンmr-imnと正しく読めるようにするため」という理由があったと考えられるけど)




古代エジプト人は、二重性(Duality)が大好きでした。

平和と混沌、善と悪、神々と人間、(人が住める)土地と(人が住めない)砂漠、昼と夜……

数え切れないくらい、対立する概念というものはありました。


それは今も同じかもしれないけれど、現代ではその中間を選ぶ事の方が多いような気がする。




この名前の配置を見ると、メリmrを境にして上下に、

そして、向き合っている神様2人の間を境にして左右にバランスがとられている。



つまり2重二重性が表現されているわけです。




これが古代エジプト人の


本来は神様2人とも同じ方向を向いているべきなんだけど、あえて向き合わせることによって、

そこに左右のシンメトリーが生まれている。




エジプト美術というのは、確かにそのオリエンタルでエキゾチックな雰囲気も印象的だけど、

こうした文字(現代人から見れば絵文字だけど)から、その背景にあるものが見えてくる。




美術そのものに興味があったわけではないんだけれども、

こうした古代エジプト人の世界観には惹かれるものがあるなぁ。


メク ウィ ヘル セシュ

Look, I am writing/drawing

見よ、私は書(描)いている

イウ ヒロ レンイ


My name is HIRO

私の名前はヒロです


イウイ エム エス エヌ レンペト 20


I am a man of 20 years(=I am a 20-year-old man)

私は20歳の男です






エヌ ネフェル ウェネメト アア


Food here is not good

ココのご飯は美味しくないです。














続けようかな。

ちょうど課題のためにエジプト美術で使われた色についての本を読み始めたので、それに関連した話題を。




古代エジプト人にとって、基本的な色とは黒・だったようです。



少なくともそれ以上の細かい分類は、文章としては残されていないか、極稀に言及されているだけです。


これはどんな言語でも共通している事だそうですが、普通の文章や会話で使われるBasic Colour Terms/基礎色彩語彙というものは3~12色だそうです。美術の授業で習った(と推測される)アノ 色相関 の12色です。


それ以外の色というのは、人間が知覚できるから名前がつけられてはいますが、細かなバリエーションということになるようです。


確かに、我が母校の文化祭の名前にもある『萌黄』なんて、色の名前として普段つかわないですね。(まあ色の名前じゃなくても滅多に使わないけど)



エジプトの気候や保管方法(埋葬品などは密閉されていた為に日光や湿度から守られていた)が幸いして、数千年前の色がそのまま残っている美術品も数多くあります。


ただ、やはり酸化してしまって元の色を留めていないものや、神殿など吹き曝しになっていたものは表面がひどい状態になっていることも多いので、完全な状態を想像するためには痕跡から調査する必要があるようです。




基本的に、色をつける時には鉱石の粉末から作られるPigment/顔料が使われていました。



赤は酸化鉄黄は黄土など、ある程度の素材は決まっているけれど、地域や時代によってはその素材が手に入りにくいことがあった様子。そしてその素材はその地域で産出できるまたは近くに採掘場があるものが使われていました。つまり素材から地域や時代をある程度なら特定できるようです。


その本には、例として、Thutmose III/トトメス3世の時代(c.1479-1425 BC)にElephantine/エレファンティン(アスワン)に建てられた教会のブロックの酸化鉄を使った黄色が、黄土を使った黄色で修繕されていたことがわかり、その修繕はSeti I/セティ1世(c.1294-1279BC)の命令で(少なくともその時代に)行われたようです。(修繕した時に、セティ1世の名前が刻まれたので特定されました)


古い神殿などを修繕するのは古代エジプトでは王の役目のひとつで、そうやって維持することで神への忠誠…というか信仰心をアピールしていたのです。


(古代エジプトの神殿はHwt-nTr、文字通り『神の家』を意味していたので、単に儀式の場ではなかったのです)


(11月7日追記:実際には信仰心とかよりも、民衆や神官たちの支持を受けるための政策みたいなものだったようです。神殿には穀物や家畜が税や貢物として献上されていたので、上位の神官たちは大富豪みたいな感覚で、当然、政治的な発言権や権力も強かったのです。たびたび王家と神官の間でいざこざがあったことも確認されていて、エジプト新王国時代が終わりを告げたのもこれが原因のひとつとなっています)


顔料でない鉱物の例として、古代エジプト美術にはがよく使われました。


金そのものは、実はエジプトや周辺地域にたくさん埋蔵されていたので、金そのものが価値のある鉱物というわけではなかった様子です。実際、古代エジプトでは銀の方が希少価値があり、神々の骨が銀でできているともされるほどです。

(周辺地域のひとつNubia/ヌビア(現スーダン)は、nbw/ネブウ=古代エジプト語「」から名づけられました)


金色は、神々の肉体を描くときや、死者のための碑文などで、その死者が死後世界で喋り食べることができるようにするため使われました。


そういった入手しやすさと宗教的な用途のほかにも、他の金属と比べて加工が容易だったこともあり、装飾品としても幅広く使用されました。



(11月7日追記:実際には金と銀は区別されること無く扱われていました。現代で「銀」と呼ばれる貴金属は、古代エジプト人からすれば「良質な金」と考えられていたのです。実際、古代エジプト人がそう呼んでいた金属のほとんどはElectrum/琥珀金と呼ばれる金と銀の合金だったことがわかっています)




古代エジプト美術でも、最も注目されるのが、青色


この青色はEgyptian blueと呼ばれるもので、FaienceとかGlaze/釉薬(うわぐすり・ゆうやく)の粉末が原材料だそう。


前に記事中でスカラベウシャブティについて少し話したけど、まさにそれらの表面に出ているモノです。


そういえば、この古代エジプトの釉薬技術は、ローマ皇帝によってエジプトが”所有”されていたころにイタリア半島へ伝わったようで、それが後の世で再発見?再復興?されたものが、現在のヨーロッパ・イタリアで使われている釉薬技術のルーツだそうです。



直接的な関係がないにしても、古代エジプトの文化が今もなお息づいているなんて驚きです。