いつまでも記憶から拭い去ることはできないでしょう。


1995年1月17日 たしか、あの日も火曜日でした。

前日は、1月15日が日曜だったため、振替で16日月曜もお休み。

社会人になりたてだった私は、翌朝、連休明けで仕事に行くつもりで、普段通り眠りにつきましたが…


朝6時前、遠くから爆発音のような地鳴りが聴こえ、停電。

幸い郊外にあった自宅は地震による家屋倒壊など直接の被害はなかったものの、何かあればテレビニュースに頼る癖が染み付いており、少し混乱しました。


電話も回線が混み合っていたようで、ずーっと話し中の音しか聞こえてきません。

電池式のラジオを聴きながら情報を得ると、やはり神戸を中心に大規模な地震があり、電気ガス水道などが広範囲で使えない状況。

電車もバスも高速道路も使えず、交通は麻痺した状態。


阪神大震災がきっかけで携帯電話やPHSが普及し、現在のスマートフォンという流れの道筋を整えたと言われますが、たしかにその通り、情報に取り残される不安に、もう耐えられない社会となりました。




あれから28年。

当時の若者はベテラン労働者となり、大人たちは老齢を迎えました。

新しく生まれた子供たちも、すでに成人し、あたりまえに活躍しています。

人も多く入れ替わり、現在の兵庫県民たちも、直接地震を体験した人たちの割合が、徐々に減りつつあることでしょう。


写真や文字など、記録として残っているものだけでなく、わたしたちの記憶に残っている、さらに多くの事象も、決して無駄にせぬよう、日々の暮らしで証明していきたいものです。