今年もこの日がやってまいりました。

第7の月17日。

ノアの箱船が、アララト山に漂着したと記録されている日付けです。


古代よりイスラエル人は、人類が再スタートしたこの日を重要な日付けと位置付け、毎年7月を特別な月と取り分けるように。そしてクライマックスにあたる15日以降の1週間を「聖会」とし、仕事や学校もすべて休んで、この「シオン祭り」に参加するようにしています(レビ23:23〜43)。


ほぼ同じ日程で、日本の京都でも「祇園祭」が行われていることが広く知られています。

コロナの影響で2年続けて自粛されていましたが、今年は3年ぶりに「山鉾巡行」が復活。

京都の中心部を、箱船が行き巡るかのような迫力ある行事が行われます。

そして同日、数々の伝説に溢れ「秘境」と呼ばれる、こちら徳島の剣山山頂においても、ノアの箱船を思い出さずにはいられない行事が執り行われました。

「神輿渡御(みこしとぎょ)」と呼ばれる祭りですが、一般的に知られる御神輿(おみこし)とは見た目の印象が違いました。

白装束を身につけた数名の男性たちが、下に棒の付いた金色の箱を担いでいます。

旧約聖書、出エジプト25:10〜15に記された「契約の箱」、ほぼそのままのものでした。

契約の箱とはさまざまな表現で呼ばれていますが、なかでも有名なのは、インディージョーンズの映画にも出てきた「失われたアーク」でしょう。

アークといえば、ノアの箱船を指す言葉でもあります。

地方によっては御神輿もまた「御船(みふね)」と呼んだりしますが、そんな回りくどい説明は必要ありません。ここ剣山山頂では、確かにノアの箱船がアララト山に漂着した日を記念する祭りが、脈々と受け継がれて来たのです。


旧約聖書の記述によれば、契約の箱はひとつだけで、レビ族の祭司たちが運搬しました。

しかし直接手を触れることを許されたのは、大祭司だけであったと書かれています。

契約の箱は、イスラエル民族を守るヤーウェの神が、常に自分たちとともに行動していることを示す存在でした。


この箱はモーセがエジプトを出て、荒野をさまようあいだに造られました。

と同時に、契約の箱を安置するため「幕屋」と呼ばれる移動式の神殿を、引っ越すたびに造営し直すのですが、これに必要な器具や資材も、やはりレビ族の祭司たちが運んでいました。

周りは敵対的な異民族に囲まれた場所。契約の箱を奪われることを避けるため、ダミーにもなるよう、金色の布で覆った箱をいくつも祭司たちが担いで移住していったと考えるのは現実的なプランでしょう。

まさにそのようなことを知っている人たちが、この他にこの行事を伝えたのでしょう。


この神輿渡御、本来は毎年7月17日に行われていたのですが、近年は人員不足が理由か、7月17日を過ぎた最初の日曜日に執り行われていました。

私が剣山に登るようになったのは2017年からで、その時は「海の日」にあたる月曜祝日でした。

その後、平日であっても毎年7月17日に剣山に登っていたため、こちらの神事をまだ見学していなかったのですが、6年ぶりに7月17日が日曜日と重なった2022年のこの日、ついにこの目で見届けることができました。


2016年の記録映像では一般的な御神輿が運ばれる様子が写っていたのですが、とっておきのサプライズでした。


他にもいろいろとお伝えしたいことがあるのですが、また以後の記事で