しばらくお休みしてしまいましたが、福知山市大江町にある皇大神社に来ています。

いまさらながら、こちらの御祭神は、かの有名な天照皇大神さまでいらっしゃいました。

立て看板によれば、丹後…おそらく、天橋立そばにある真名井&籠神社から、20箇所以上の移転を経て、現在の三重県に落ち着いたとのことです。

「元伊勢」と呼ばれる神社があちこちに点在する理由も納得できました。

それと、丹波から丹後が「分国」された過去があるとも書いてます。貴重な記録でした。

そして御例祭日は…お笑い芸人に多くある誕生日の、4月26日なんですね。

元伊勢小唄の歌詞ですが、こういうのは掛け声部分がヘブライ語だったりしそうです。

「ヨイトコナー」がカギだと思いますが、ヤーから訛ってヨイに変化しているとすれば、やはり神さまに捧げる意図が込められているはずです。

境内から、またしばらく歩いたところで、このような素晴らしい景色が待ち受けていました。


思わず「ヤッホー!」と叫びたくなります。山彦というか、神さまに感謝を叫びたくなる風景です‼︎


向こうに見える美しいかたちの山は「日室ケ嶽(ひむろがたけ)」と呼ばれています。

祠の直線上に山頂を望むこの場合からだと、ほぼ真西を向くこととなり、日没は太陽が山に隠されるように見えることでしょう。

お日様が沈んでしまったあと、昔は月の明かりに頼っていました。 十五夜で月見団子を乗せる台も、これをイメージしてるんでしょうか?


お日様が隠れて困ってしまうお話といえば、天照皇大神が思い浮かぶとおり、この山は「岩戸山」とも呼ばれています。
となれば、この先にある、「元伊勢三社」最後のひとつは…

いよいよ来ました!天岩戸神社です‼︎

看板の矢印が下向いてるのがポイントです。

実際に、道路から渓谷へ階段で降りて行きます。

こちらは本殿ではなく、「生釜」と呼ばれる滝壺を眺めるための場所です。

天照皇大神といえば女性をイメージされることが多いですが、それが安産祈願に繋がります。

流れの速い渓流に削られ出来た岩のくぼみに、穏やかな水が溜まっていました。

先程よりさらに急な階段を降り本殿に向かいます。
となり見えるこの川は「五十鈴(いすず)川」だそうです。伊勢神宮の近くを流れる川と同じですね。

谷底近く。川の水が常に撥ね掛かる道の先に、ようやく天岩戸神社が見えてきました。

夏は涼しくて快適だと思われますが、足を滑らせて川に落ちれば、いったいどうなることやら。

さらに冷や汗をかかせてくれるクサリ場が待ち受けていました。

こちらへ参拝した日は2021年12月24日。この3日後12月27日に、京都府北部は大雪に見舞われてますので、この日を逃していたら、春まではここに来れなかったことでしょう。

クサリを使って登りきりました。

紛うことなき十六弁菊花紋。

天照皇大神にふさわしい、太陽の紋章です。

高いところに勇気を出して登ったあとは…降りるときにより一層の恐怖を味合わせてくれますよね。

帰るときに気付いたのが、右手にある。垂直に切り立った屏風岩。

隠れてしまった天照大御神さまを連れ出すため、左側からグイッとこじ開けて、このように向こう側が見えるようになったのでしょうか。


以上、とびとびながら、真冬に訪れた元伊勢三社のリポートはこれまでとなります。

とにかく良いところでした。元伊勢小唄の掛け声どおり「ヨイトコナー」と連呼できます。

春に訪れた天橋立も含め、丹波・丹後を廃藩置県で京都府に組み込んだ理由がよくわかる、本当に良い旅行となりました。

京都旅行は京都市内だけでなく、ぜひ丹波・丹後にもお立ち寄りください。