新しく2022年があけました。

本年度も引き続き、ワタクシめの記事にお付き合いくださるみなさまに感謝を申し上げます。

本年度もどうぞよろしくお願いいたします。


元伊勢内宮・皇大神社に来ています。

天皇家の家紋がついた瓦が、木の周りに置かれています。畏れ多くて捨てられないのでしょう。

そしてこの境内は、まるで緑の絨毯を敷き詰めたように、苔に覆われています。

まず目についたのは、こちらの祠です。

なんと、こちらは岩長姫にまつわる施設でした。

古事記にある天孫降臨の中では、ニニギの命に好意を抱かれず、妹の木花咲耶姫よりも外見的に残念という扱いを受けていましたが、天皇家の血筋を考えるうえで大切にされていることがわかりました。

すぐ横には和泉式部にまつわる記念碑も。

さらに、数多くある摂社・末社。

坂を降った先に、ヤマタノオロチ神社があると?

池のほとりにある小さな祠が、ヤマタノオロチ神社のようです。

出雲ではスサノオの命に退治された凶暴な大蛇として語られるヤマタノオロチですが、こちらでは清らかな水を湛えた泉とともに祀られています。


わたし個人の考察によれば、先の岩長姫は旧約聖書に登場するレアに当てはまると思っています。

イスラエル民族の祖であるヤコブの最初の妻となりますが、妹のラケルがより強くヤコブに愛され、長子と指名されたのもラケルから産まれたヨセフでした(創世記29章〜30章)。ヤコブはニニギの命、ラケルは木花咲耶姫、ヨセフが山幸彦に当てはまると考えています。

軽んじられる岩長姫やレアのことも忘れず、大切に祀られているこの場所で、やはり悪役になっているヤマタノオロチも祀られているのは、なにか深い意味があるのではないかと考えてしまいます。


ちなみヤマタノオロチを退治した時に尻尾から出て来たのが天叢雲(アメノムラクモ)剣であり、後にヤマトタケルの命が護身用に持って行った時、周りの草を薙ぎ払って放火から逃れたことから草薙剣と名を変え、3種の神器の一つとなります。

古来より龍(≒大蛇)は水を司るとされ、たびたび氾濫を起こす暴れ川に治水工事を施した事例が、スサノオの命による神話になったという説が一般的とされているようです。

こちらも旧約聖書を前提としたわたし個人の解釈によれば、エジプトから脱出する際にモーセやアロンが使った、蛇に姿を変える杖に当てはまります。

エジプトの魔術師たちも杖を蛇に変えますが、モーセたちの蛇にすべて飲み込まれてしまいます(出エジプト7:9〜12)。エジプトの蛇をいっぺんに飲み込んでゆく様子が、「頭が八っつある大蛇」のではないかと。

そして蛇を捕まえる時、普通はアタマ近くを持ちますが、モーセは尾をつかんで杖に戻しています(出エジプト4:3,4)。

杖は祭司となったアロンのものとなり、草にまみれたエピソードと対応するかのように、白いアーモンドの花を咲かせます(民数17:8)。

そして十戒を刻んだ石版と、マナを入れた壺とともに「契約の箱」に保管されていたのです。


エルサレム神殿がソロモンの時代に建立されるまで、イスラエル人にとって崇拝の中心地は、移動しながら組み立て・解体ができる「幕屋」でした。

その幕屋の中でもとりわけ神聖な「至聖所」に安置され、神の臨在を象徴していたのが「契約の箱」でした。むしろ契約の箱を守るために、幕屋を造営したと言えるでしょうか。


伊勢神宮も現在まで「遷宮」という慣習が受け継がれていて、およそ20年ごとにお宮を建て直します。その様子はテレビでも中継され、写真集なども出版されますが、同時にお引っ越しする器具などは布に覆われ、ほとんど外から見えないものの、大勢の宮司さんたちが厳かに行事をすすめていきます。

丹後宮津の籠神社から、天橋立をまっすぐ辿ったこの丹波にも元伊勢があるように、旧国の山城、大和を通り抜けるように南に南にと遷宮を繰り返しながら、現在の伊勢神宮に落ち着いたのでしょうか。


いよいよ本殿。天皇家の紋章が堂々と見えます。

拝殿から、本殿への扉に続く階段が見えます。

垂れ幕、太鼓、かがり火、榊…いずれもイスラエルの幕屋や神殿にあるものと対応するものばかり。年末年始を控え、綺麗に飾り付けがされています。

こちらも本殿は茅葺き屋根となっていました。

ご神木の隣には「苔庭」「さざれ石」の看板が。

付近には苔に覆われた泉や石橋があります。

そしてここにもシナゴーグっぽい石組みの祠が。

細かい石灰岩が組み合わさった石が「さざれ石」。

徳島の小屋平付近にあった、三木家にあったものとは、ちょっと違うタイプのようです。


またここで写真データがいっぱいとなりました。

また別の記事で続きをお伝えします。