古代より多くの文化圏において、太陽は神と同一視されていました。
太陽は光と熱の源であり、それは動物・植物命を支えるのに不可欠です。
秋が終わり冬に入ると日照時間がどんどん短くなり、気温も下がります。照明も簡単には準備できませんし、雪も積もる地域では、移動や外出も困難でとなります。

夜の時間帯が長くなり、このまま夜明けが来なくなってしまうのではないか?
生命の源である太陽が、夜の闇に妨害され、それとともに自分たちも次第に弱らされてしまう…人々が不安にかられるなか、先日よりも日の出が早まったことに気づいた人がいます。

冬至を境に日照時間が再び長くなってゆく。
寒さはまだ残るが、太陽が再び夜の闇に対して優勢となる第一歩が、ここに踏み示された!

というイメージが元で、毎年12月下旬に、無敵の太陽が復活したことを祝う習慣が古来よりあり、それが現在でいうクリスマスに結びついたという説があります。
「広く受け入れられるイエスキリストの誕生日であることを示す明確な根拠はなく、聖書や歴史上の文献を見ても、イエスキリストの誕生日がいつかわからない」というのが本音であるらしいです。
クリスマスが日本に受け入れられるようになったのは明治以降とされていますが、冬至で柚子湯に入る習慣は昔からあったようです。
特に柚子に限らず、ミカンや、ミカンの皮をお湯に浮かべる場合もあります。
秋に収穫されたあとも日持ちする食材であり、体温保持、血行促進などの効能もありますが、柑橘系の黄色い果実をお湯に浮かべるのは、やはり太陽をイメージさせる「無敵の太陽復活祭」につながるものと言えます。


クリスマスといえば子供が楽しみにするプレゼントがありますが、これはキリスト教会のニコラウスさんという牧師さんが、貧しい家庭に贈り物を配ったことに由来すると言われています。
それに対し、日本にも「お歳暮」という習慣がありました。一般的には、中国より伝わった道教の風習で、日頃お世話になっている人に感謝を込めて贈り物をすると言われていますが、聖書の中にも似た記述があります。
エステル記9:21,22によれば、毎年アダルの月(12月)14・15日に互いに食物を、また貧しい人にも見返りを期待せず贈り物をして祝うよう定めたとあります。

当時のイスラエルは国を失っており、ペルシアの影響下で民族ごと捕囚される立場にありましたが、王の恵みを得て王妃となったエステル(この時彼女が受けたオイル塗り込み美容マッサージが「エステティック」の語源となっている)が、民族消滅の危機を回避させたことがきっかけとなり、互いの無事を確かめ合い、贈り物や手紙のやり取りをする「プリムの祭り」を定めたと記録しています。

道教とは中国や朝鮮の儒教であり、イスラエル人の考えから唯一神への信仰を除き、道徳観を取り出したものと解釈できます。
お歳暮や年賀状(相手が受け取るのは何時だが、書いて準備するのは年末)も、イスラエル由来の風習とみて間違いないでしょう。


大掃除もまた、イスラエル由来と言ったら驚かれるでしょうか?
神社でも行事として「すすはらい」が行われます。
神社で行われる行事はすべて神事ですので、気持ち良い新しい年を迎えたいという単純な理由では無さそうです。
レビ記2:11では、神に捧げる無酵母パンに、決してパン種が入らぬようにと言い渡されています。
年始に必要な「パン種の入っていないパン」のため、チリやホコリを残してはいけないと言われているので、日本人は現在も生真面目に年末の大掃除をしているのです。

年始の風習も、同じくイスラエル由来のもので溢れています。
それはまた、次回に。