9/15『ご報告』に、たくさんの温かい励ましのコメントをいただき、ありがとうございます。

本来ならば、お1人づつにお返事するところですが、コメントを読んでは涙が止まらず、どうしてもコメント返しできずにおります。


ろびぷりパパさん・バントママさん・スノママさん・flalaさん・黒太鼓さん・あきさん・のんちゃんさん・riebonさん・マウイママさん・momokaさん・yukiさん・シュナさん・tomumamaさん・とんとんさん・鯛かあさん・いちママさん・ルイ&イヴままさん・Samantha@人生開拓系さん・ビアーパパさん・ティンクさん・こゆきママさん


ここでお礼と感謝申し上げます。




ようやく、少し涙がおさまりつつあります。

レディさんの最後を忘れないように、そして、しっかり残したいと思い、今日のブログを書きました。

少しずつ、一行書いては手が止まり、一行書いては涙が止まらず。

長々とした内容です。だけど、私にとっては、アッという間の短すぎる出来事でした。

今日、この記事を載せて、ひとつの踏ん切りとしたいと思います。








9月4日金曜日。朝から母にレディさんの事で大事な話があると仕事に行く前に、呼び止められました。

「今日の朝、黒便があったから、そう長くないと思うの。多分、一週間ぐらい・・・。だから、心の準備をしておきなさい。」

私は、一週間という短い期間と心の準備という言葉に心臓が止まりそうでした。そして、同時にレディさんに限ってそんな事はない、何かの間違いと思いました。

母には、レディさんの黒便が出たと言われたが、その後は不思議といいウンチでした。だから、黒便は何かの間違いだと思って忘れていました。



9月6日日曜日。土曜日から私とレディさんだけ、実家に留守番でした。朝、レディさんに挨拶をする。その時に、夕べ寝かせつけた格好のままと気付きました。この時点でレディさんは、寝返りがうてなくなりました。それからは、二時間おきに深夜問わず寝返りをうたせました。

自分で立って歩いていたのが、立たせてあげると歩ける程度になり、歩く歩数も日に日に短くなり、寝返りが出来なくなった時点で、支えなしでは、ほとんど動けなくなっていました。たった2週間ほどの期間の間の出来事でした。


それと同時に、トイレの失敗も同じように徐々に回数が増え、寝返りがうてなくなってからは失敗してもいいようにお尻の下だけにペットシートを敷き対処しました。それでも、母が支えてお庭に出ると、おしっことうんちがちゃんと出来ていました。乳酸菌でお腹の下りもある程度、おさえられていました。しかし、それでも失敗してしまうのは『漏れ』なんです。お庭に出たときには、必ず自分で踏ん張って出して、軟いけどちゃんと取れる程度のうんちでした。だけど、『漏れ』で出てしまうのは、ジェルっぽい水状のうんちでした。これは、しかたがない事だし、どんな形であれ出ることは良いと考え、「スッキリしたね~」「おなかが気持ちよくなったね~」って言っていました。そして、乳酸菌のもっともよかった事は、うんちのにおいがきつくないのです。だから、お世話するのも苦になりませんでした。そういえば、体重が痩せた事で、体力を消耗しないようにとお風呂に入れなかったレディさんでしたが、体臭はゼロでした。これも、乳酸菌のおかげと思っています。



ほぼ、歩けなくなったレディさんでしたが、どうにかして散歩させたいと思い、バギーでの散歩を考えました。バギーでの散歩は、レディさんも喜んでいたと思います。頭を上げ、風の匂いや周りの風景を見て、公園に着くと公園を10歩ほど歩きおしっことうんちを済ませ、公園の芝の上に寝そべり土を感じ、モモちゃんやレンちゃんの歩く姿を眺め、またバギーに乗って家に帰る。バギーに乗って散歩を始めた9月8日の時点では、上のような感じでしたが、9月11日の散歩の時は頭を上げる力はありませんでした。



9月3日に、病院の先生にレディさんがどんどん食べなくなる事について相談したところ、体力低下した子の為の缶詰をもらってあげた所、とても喜んで食べました。その缶詰は、私たちでもおいしそうと思う匂いで、喜んで食べてくれるならと期待していました。食に関しては、生前にも書いていましたが、とにかく食べたいもの好きなものを食べさせるというやり方をしていました。しかし、それでもどんどん食が細くなりました。ワンコ用のスープなどをインターネットで頼み、食が細く偏っていたのをそれでなんとか補っているような状況でしたので、缶詰を喜んで食べてくれた時は、このまま食が戻ってくれたらと願わずにはいられませんでした。しかし、その缶詰も9月10日の時点では、食べるのに疲れほとんど自分からは食べない状況だったので、次の日に注射器を購入して、それであげるとなんとか食べる事ができました。これならば、レディさんの負担も少なく、食べ疲れせずに、確実に食べてくれるので、これでイケると思いました。しかし、結局、この注射器を使ったのは、たった3日でした。

水に関しては、母が支えたままですが、自分で休みながら飲んでいました。1日、何度もお水をあげました。これは、最後の日の朝まで、自分で飲みました。


母は、レディさんにほぼ付きっきりの状態でした。1日4回レディさんをお庭に出し、レディさんの体を支えたままおしっことうんちをさせ、レディさんが歩きたそうな所を一緒に行き、レディさんが疲れてお庭にフセしたら、レディさんの気の向くまま一緒に蚊を払ってあげながら、レディさんが部屋に戻ると頭をあげるまで、ずっと待っていました。

母がレディさんを手で直接支えながらお世話していて、ずっと中腰の体勢だったので、楽にお世話できるように私は手ぬぐいと紐で、手作りの吊ベルトを作りました。2度ほど使ったですが、結局のところレディさんが、おしっこでもうんちでも歩くのでも吊ベルトより母の手での方が、なんでもスムーズにしてくれたので、ずっと母は中腰でお世話しました。



9月11日。レディさんの涙の異常に気付きました。なぜか、たくさんの涙がこぼれるのです。気がつくたびに、拭いてあげました。



9月13日、レディさんが寝返りがうてなくなって一週間目の朝。いつものようにお庭で母に支えられ、おしっことうんちをして、30分ほどお庭で過ごす。お部屋に入り、お水を飲んだレディさん。何か食べるか尋ねても食べたがらない。そのまま、いつもの台所のテーブルの下に作ったレディさん専用の場所に寝る。3時ごろに、もう一度お水を飲む。「チャプチャプ・・・」と音はするものの水は減っていかない。夕方、レディさんのお尻の下に敷いてあったシートの異変に気付く。おしっこではなく、おりもののようなドロドロした黄色のものが出ていた。変だなとは思いましたが、そのすぐあとに、とってもいいうんちが出て、「気持ちよかったね~。ちょっと、休んだら、今日は何も食べてないから食べようね」そう言って、お尻をきれいにして、寝かせました。母が一通り夕飯の支度を済ませたので、レディさんにお水とスープをあげようと用意し、母がレディさんを抱き、私が口の隙間から水を注射器で入れてあげていました。しかし、なかなか舌が動きません。母が「レディさん?」と声をかけると、やっと舌が動き、「ゴクッゴクッ」と喉の奥に入っていく音がしました。だけど、水を飲ませている量に比べると、舌の動きが鈍い。ちょっと休憩させてからスープをあげようと5分ほど母に抱かれたままレディさんは休憩して、スープを飲ませはじめました。しかし、さっき水を飲ませた時より、もっと舌の動きが鈍い。2口ぐらいは、喉の奥に入った感じがありましたが、その他はどうも入った手ごたえがない。ひげについた水をきれいに拭いてあげ、レディさんを寝かせようとしました。すると、レディさんのお尻の下にペットシートを引いて、母は抱いていたのですが、そのシートに緑色のドロドロしたおりものがついていました。夕方の黄色のおりものを思い出しました。おかしい。とにかく、キレイにしてあげて寝床に寝かせました。母は、レディさんを寝かせてスグにその場を立ち、夕食を食べ始めました。私は、なぜかその場から動けず、レディさんの様子を見ていました。いつもと様子が違うし、なんだかお腹が動いていない気がしたのです。「レディさん?」私は、レディさんに声をかけました。レディさんが、2回ほどピクピク反応したように思いました。だけど、どう見てもお腹が動きません。「ねぇ、お母さん。レディさん、息してない気が・・・」母は「そんなはずない」と言い、すぐにレディさんの所に来てレディさんのお腹を触りました。「ちゃんと、ドキドキしてる。心臓動いてる。大丈夫、ご飯食べない」母がそう言いましたが、私は不安いっぱいでした。後に、母がレディさんを触って感じた鼓動は、母自身のものだったと話をしました。母に言われるがまま、夕飯を食べ始めたのですが、レディさんが気になって喉を通りませんでした。ちょっとだけ食べて、すぐにレディさんの所に行きました。その時、すぐに気がつきました。お腹が動いてない。目が閉じてない。母に「レディさん、やっぱり動いてない・・・」それ以上は言葉になりませんでした。母も慌ててレディさんに駆け寄り、その現実がようやく理解できたみたいでした。その時、7時30分でした。誰一人欠ける事なく、家族みんながレディさんの近くにいました。たまたま父も、早めの夕食をすませていました。たぶん、レディさんは母に抱きかかえられてお水を飲んだ時、それが最後だったんだと思います。それから私と父はレディさんにちょうどいい大きさのきれいな箱を見つけ、母は白いバスタオルを底に敷き、レディさんをその中に入れました。そして、白いタオルで枕をしてあげ、父は女の子だからと花柄のタオルをレディさんにかけてあげ、母は寂しくないようにとレディさんのトレードカラーの赤いぬいぐるみを入れてあげ、私はずっとレディさんは首輪をして育ったので、痩せて外してあった首輪をつけてあげました。首輪は、レディさんが、どれほど痩せたか痛々しいほどブカブカで、それがとても悲しく、涙が止まりません。父は、いつのまにか庭に行き、夜来香を2枝切ってきていて、それをレディさんに入れてあげました。私は、最後にレディさんの毛を綺麗に梳いてあげました。もう、悲しくて悲しくて悲しくて。棺に入ったレディさん。棺に背中をつけ、お座りしたまま動かないモモちゃん。棺の下にあったレディさん専用のクッションを枕に、その場に寝たレンちゃん。分かったんだと思います。何が起こったか。2人の行動は、レディさんにいつもしていたままの行動でした。母は私に「12時までレディさんと一緒にいよう」そう言って、泣きながらレディさんのそばに12時までいました。私は、後悔したくないと思い、レディさんの最後の写真を撮り、美しい胸の白い毛とレディさんらしい背中のソルト&ペッパー色の毛をちょっとだけもらいました。本当は、寝る前にレディさんの周りにアイスノンを入れたがいいだろうと話していましたが、不思議と体が温かいんです。手足は死後硬直していたのに、まだ温かいレディさんの体。なので、アイスノンは入れませんでした。



9月14日、朝一番にペット葬儀屋へ電話を入れました。そして、11時に葬儀場に行く事になりました。葬儀屋さんに、何か必要なものがありますかと聞くと「おもちゃとか、好きだったエサなどを入れてきてあげてください」言われ、最後にレディさんのご飯を入れてあげました。玄関を出るときに、モモちゃんとレンちゃんを呼び、最後のお別れをしました。レディさんを車に乗せ、葬儀場へ。一通りの説明を受けました。その時に、納骨するか連れて帰るかという話になった時、母が「うちの子ですから、連れて帰ります」と強く言いました。そして、火葬場へ。火葬場では、私が機械の始動ボタンを押し、母が点火ボタンを押しました。母が最後に「レディさん、さようなら」と声を詰まらせかすれるように言ったのが、何よりも辛かったです。私は「またね」って言いました。私とレディさんとの昔からの約束で、必ずまたねがあると信じています。そして、火葬場の外の煙突から空に上がっていく白い一筋の煙を見ました。本当に、快晴の空にその煙が映えていました。火葬に2時間ほどかかるとの事だったので、私たちはその場で待たせてもらおうと思っていたのですが、葬儀場の人が「長く感じられ、さらに落ち込む方が多いので、ここでの時間は辛い。だから、一度家に戻られて終わったら電話するので迎えに来てください」と言われ、家に帰りました。お昼を軽く食べて待っていると、1時半ごろ電話があり、迎えに行きました。レディさんは、骨になっても綺麗でした。全ての骨がきれいに残り、頭蓋骨も形を留め、下あごには歯がしっかり残っていました。母と2人で選んだ、大き目の真っ白の骨壷へお骨を入れました。そして、赤の袋に入れ、それを白い布に包みました。母に抱かれ、連れて帰りました。家に着いてから、床の間にレディさんの場所を作りました。お骨を置き、私と母が一番好きなレディさんの写真を飾りました。父は、レディさんのためにと、大好きだった大きなリンゴと梨をお皿にのせて用意していました。父曰く「柿も用意してあげたかったけど、売ってなかった」とぼやいていました。私は、ずっと涙が止まらず頭が痛くて夕方まで寝て過ごしました。母も寝たかったらしいのですが、電話がなったり、用事があったりで、動いていました。夜に「何もしないで悲しんでるアンタを見て、ズルイと思った」と言われました。





レディさんがいなくなって、モモちゃんは2日間うんちが出ませんでした。モモちゃんがウンチが出ないときは、気になる事があるときです。誰も見てないときに、レディさんのお骨の前にいたりしています。モモちゃんにとって、レディさんはお母さんであり、お姉さんであり、パートナーであり、家族の誰よりもずっと一緒にいたんです。レディさんが具合が悪い時は、自分の散歩どころじゃなくて、「私はもう家に帰る」と言って私たちを困らせたりしました。優しいモモちゃんです。

レンちゃんは、朝一番に誰より先にレディさんに挨拶に行くぐらいレディさんが大好きでした。モモちゃんは、レンちゃんが寄ってくるとすぐ逃げるのですが、逃げないレディさんのそばでよく寝ていました。今は、レディさんとよく寝ていた場所を遠くから眺めていたりします。

そして、何より、2人くっついている時間が長くなりました。


私や母は、レディさんがいなくなっても、生活のサイクルは変わりません。散歩の事、エサの事、水のこと、ワンコの事を考えながらの生活です。もし、モモちゃんたちがいなくて、レディさんがいなくなり、それらの事を考えなくていい生活になったら、たぶん今よりもっと辛い状況だったと思います。日常の流れが変わらない事が、私たちの慰めになっています。



私は、人生の半分以上をレディさんと共に過ごしました。今でも、一番最初にレディさんがうちにやってきた時の事を鮮明に覚えています。レディさんが可愛くて、レディさんが大好きで、レディさんが自慢で。それは、これからも、変わりません。レディさんは、だっこが大好きで、ダッコしながらレディさんに昔から私は「何かあったら、おねしゃんのお腹の中においで~」っていつも言っていました。それを「ぽっこんち~」と言っていました。私とレディさんの約束なのです。だから、私は「またね」だったのです。レディさんは、必ずおねしゃんのお腹の中にぽっこんち~するんです。うちの子は、みんなそうです。


晩年になって突然、レディさんはお出迎えをしてくれた時に、口をペロペロと舐めてくれるようになりました。私は、それを「幸せキッス」と呼んでいました。しかも、私だけにしてくれるのです。とても幸せで光栄に思います。




今、ようやく落ち着きました。しかし、レディさんを知っている人にレディさんの訃報を伝えなくてはならない時は、まだ辛いです。