令和6年3月16日(土)
怒ってかんの!
笑ってGO!!
こんばんは、ひろパパです。
最近、YouTubeで怖い話や死後の話などの語り動画を観たりします。
よくある幽霊の怖い話やオカルト、都市伝説の類ではないです。
それも好きですが、あまり観過ぎると気持ちがそっち側の空気を連れて来るみたいです。
気持ちが落ち込んだり、暗くなったりします。
なのでむしろ、お寺の住職の説法に似た人の在り方、存在理由を説いた様な優しさとユーモアがある感動系の動画です。
例えば、成仏の在り方。
天に召される事が成仏と言われますが、人によっては居心地の良い好きな場所に居座る事がその人にとっては、成仏であるとの考え方。
例えば、地域で伝わる妖怪やお化けの概念。
座敷童などは、その人の家に居座って遊ぶ事が最高に嬉しく、そのまま仏となった成仏の姿だったりと。
あくまでも解釈の問題で、正しいなんて分かりません。
ただ、ほっこりする考え方がありました。
死ぬと人は、ビルのガードセンターの様なモニターがずらっと並ぶ部屋に入ります。
そこで、自分にまつわる様々な動画がリアルタイムで流れています。
自分の死後何回忌か、また自分を偲んで手を合わせてくれたり泣いたりしてくれる場所へ、それを映すモニターに飛び込む事でそこに行けるという考え方。
思いに答えてあげられるという考え方。
何か、ほっこり笑えて来ます。
実は、この前長女と話した事があります。
もしパパが死んだら、家族の記念日や大事な時に何らかの合図を送ってあげるね!と。
カーテン揺らしたり。
思い出の曲を流したり。
金縛りにして、足こちょこちょしたりと。
笑笑。
事故に遭いそうになったら、パパが大の字で助けてあげるよと。
マークシートで迷ったら、鉛筆転がしなさいと。
パパが正解に止めてあげるから。
でも、パパも分からなかったらごめん。
笑いながら、ずっと話してました笑。
私の死後の考え方は、単純です。
死んで目を閉じて、意識がパチンって途切れた瞬間、人生が終わります。
次にまたパチンと意識が戻った時は、何処かの国のどこかの家族の、どこかの夫婦の赤ちゃんとして目を開き人生が始まります。
たまに前世の記憶があるとか、この光景どこかであったな、などの現象を聞きます。
あり得る事です。
だって、今の私が大切にしている【言霊】は、人から人へ繋がり受け継がれます。
優しさ、思い、感謝は、繋がり派生します。
通りすがりの人。
挨拶を交わす店員。
小説などの活字。
誰かの人生の【言霊】が含まれています。
私が、感謝を大切にしたいという事はその為です。
感謝の【言霊】は、いつか巡り巡って、私の家族の未来を助けてくれるでしょう。
なので、前世の自分の蒔いた【言霊】が現世に巡り巡って、人伝いに会いに来てくれたのです。
そう考えたら、優しくなれませんか。
こんな事を考えて、今日は横になっていました。
胃腸の痛みがあり、下痢ではない便意が続いていますが、割と元気です。
熱は無し。
家族は、リビングでお菓子貪って大笑いしています。
ダウンタウンの「笑ってはいけないシリーズ」のDVDを借りて来て観ています。
長くなりました。
今日は、この辺で。
おやすみなさい。
では、また。