令和6年2月19日(月)
怒ってかんの!
笑ってGO!!
こんばんは、ひろパパです。
私の母親の話です。
今は、実家の石川県加賀温泉という場所でホスピスに入院しています。
とても良い場所です。
映画「1リットルの涙」で取り上げられていた脊髄小脳変性症
という難病と20年近く戦っており、今は自分では何もできません。
10年くらい前までは、まだ多少話せたり筆談できたりしていましたが、年を重ねる毎にできる事は無くなっていきました。
チューブに繋がれて生かされている状態と云うのが正しいのだと思います。
LINE面会では、親族の声には多少リアクションがあるみたいですがこちらでは反応が分かりません。
実家で暮らす兄の話では、厳しいですが母の意思とは別にして何度も落ちたブレーカーを無理にあげられ、そのまま落ちない様に押さえてある状態との事です。
母の意思が確認できず、その様子を毎回面会で目の当たりにする兄の心境を思うと、いかに私が苦しみから逃れた生活をしているか痛感します。
母の尊厳の為、母の意思を確認しようが今はもうできません。
延命の是非を、命の尊厳の問いを、近くにいる兄1人だけが突きつけられている現状です。
優しい母でした。
いつもニコニコして、親族の全てから感謝されるくらい本当に優しい母親でした。
それに甘え、私はその優しさを仇で返すような失敗をした過去があります。
まだ話せる時は、いつも私の身を案じていたと聞いていました。
会った数年前も、聞き取れない言葉で私達家族を抱きしめてくれました。
弱りきった力でした。
母の事が大好きです。
私の娘二人も、幼い時父と母に本当に可愛がってもらったのを今でも憶えていて大好きと言っています。
無限に止むことない無償の愛を貰いました。
父はまだ存命で実家に住んでいますが、やはり高齢で闘病の身です。
父と母に、感謝の気持ちしかありません。
母は、私のがんの状況は知りません。
伝えていません。
ましてやガリガリになってハゲた私を認識できるとは思えません。
しかし、その虚な眼球の奥でその事実を知った時、母の精神はどうなるのか分かりません。
近いうち、母は必ず亡くなるでしょう。
母の亡骸に相対する事ができるなら、私は感謝と今の自分の事をしっかり伝えます。
なのに生きている母へ伝える難しさと重みは私には受け止めてあげられません。
私には、自分の延命はしないとの意思表示ができました。
でも、母はそんな意思表示すらせずに、ただただ残された家族を気遣って迫り来る死と向き合っています。
向き合ってもいないでしょう。
ただただ、私達を思い出しては気遣って。
何もできない世界で、泣く事すらできず思う事しかできない苦しみを、絶対に理解などできません。
もう張り裂けそうなくらい、申し訳無い気持ちでいっぱいです。
母だけではなく、父や兄へも。
本当に、ごめんなさい。
近い内、母が亡くなります。
今、私は退院して家族の待つ家へ帰る事ができます。
まだしばらく私は、生きる幸せと笑う喜びを家族と分け合う事ができます。
私には選択ができます。
こんな幸せはありません。
近い将来、もし私の命のブレーカーが落ちたなら上げないでと伝える選択を選べるからです。
自らの尊厳を守れるのです。
しかし、しかし母には、できませんでした。
何より、しませんでした。
残された時間すら私達を気遣って気遣って幸せを願って願って、自らの悔いと懺悔で残された家族の幸せを願っているのでしょう。
優しかった母の思い出がたくさんあります。
私の退院に向けて兄より連絡があったので、眠れぬ夜に今こうしてブログに綴っています。
今日、私は満面の笑みで退院します。
娘達と冗談言い合って笑います。
QOLが保てる内は、家族に愛情の全てを注いであげるつもりです。
何度も書きますが、今月か来月か母は亡くなるでしょう。
私は淡々と進む時間に身を委ね、理性と感情に任せるまま母とお別れの時を迎えるでしょう。
終えて、私が何を思うのか。
ありのままを家族に伝えようと思います。
私の生き方について。
感情について。
どれだけ、君達を愛しているかについて。
母も、それを願っていると思います。
残す家族への想い。
何を書いているか分からなくなりましたので、もう寝ます。
カーテンの向こうが少し白けてきました。
もうすぐ朝6時。
おやすみなさい。
では、また。
結局、普通食は食べれませんでした。
さようなら、すい臓B食。
すい臓A食さんによろしくお伝え下さいね。