今年もあと2時間足らずで終わろうとしています。
2020年という年を一生忘れないと思います。
これまでの人生でこれほど感情を揺さぶられ、人生や幸福について考えたことはなかったです。
コロナよりも何よりも、ダウン症児として生まれてきた芽依のこと、家族のことを考えました。
8月に芽依が生まれてもうすぐ丸5ヶ月。
今は心の底から芽依のことをかわいいと思います。笑った顔は天使のようで、僕や妻のことを癒やしてくれます。
たったの5ヶ月ですが、僕と妻にとっては激動の日々でした。
この期間のことを忘れたくないと思ったので、年末のこの時間に改めて振り返ってみました。
大晦日に家族写真を撮りました。2021年の干支は丑ということで芽依には牛になってもらいました![]()
2020年8月1日午前0時半、妻の陣痛が始まり、車で病院に向かいました。
真っ暗闇の中、途中で雨が土砂降りになり、不安な気持ちになったのを覚えています。
3時ごろに病院に到着し、約3時間で産声を上げました。
新大の時は20時間ぐらい掛かったのでだいぶ早く感じました。
妻は本当に長い間頑張ってくれました。
10ヶ月間いろんなことを我慢して、痛みにも耐え、大変だったと思います。
改めて、本当にありがとう。
だけど、産まれてきた娘の顔を見た瞬間、すぐにあることに気付きました。
「あれ、もしかしてこの子、ダウン症かも」
吊り上がった細い目、極端に低い鼻、やけに太い首。
産まれた瞬間の喜びも束の間、持ってきたデジカメで娘の写真を撮ることも忘れて、そのことで頭の中がいっぱいになっていました。
「写真撮らないの?100万枚ぐらい撮ってよ〜」
妻にそう言われ、敢えて気丈に振る舞い、写真や動画を撮りました。
素直に妻にも尋ねてみようと思いましたが、とてつもない苦しみを乗り越えたばかりの妻に、とてもそんなことは言えませんでした。
芽依が生まれて初めて3人で撮った写真。頭の中は不安な気持ちでいっぱいでした。笑
出産後1時間ぐらいして、妻が病室に移ることになったので、2人を見送りました。
(コロナで面会禁止だったので病室には付き添えなかった)
外に出ると、前日まで長く続いていた梅雨空が嘘のように、スッキリ晴れ渡った青空が広がっていました。
そんな空とは裏腹に、僕の頭の中は不安で満ち溢れていました。
帰りの車の中で、色んなことを考えました。
本当にダウン症だったらどうする?
妻は気付いてないのか?
気付いたとしたらどんな気持ちになるんだ?
なんでおれの子が?
じぃじばぁばはどんな気持ちになるだろう?
自分たちが死ぬまで一生身のまわりの世話をしなきゃならないのか?
自分や妻が死んだ後は誰が面倒を見るんだ?
新大が幼い頃はいいけど、物心ついたらどう思うだろう?
新大にも辛い思いをさせることになるんじゃないか?
妻と思い描いてたこれからの人生はどうなるんだ?
おれは娘のことを受け入れられるのか?
新大のように心の底から愛せるのか?
すぐに車を停めて、とにかくダウン症についてあらゆることを調べたい衝動に駆られました。
娘は健常者と比べて何ができなくなるのか?自分も含めた家族は何ができなくなるのか?これから自分たちは何を失うのか?といったことが気になって気になって、不安で不安で怖くて仕方ありませんでした。
8月初めの晴れた夏の日で、待望の娘が産まれた日、人生最高の1日になるはずでした。
それが一転して、奈落の底に突き落とされた気分でした。
娘の未来がすべて奪われたような気持ちになりました。
なんでおれの子なんだ、神様がいるとしたらなんて残酷なことをするんだ、どうか夢であってくれ、そんな思いばかりこみ上げてきて、気づいたら涙が止めどなく溢れていました。
そんなこんなで家に着くと(ほんと事故らなくてよかった笑)、新大と母が出迎えてくれました。
母は開口一番「おめでとう」と言ってくれました。
なんとも言えない複雑な感情を押し殺して、気丈に振る舞いました。
それから茨城の父と兄、新潟の義父母や義妹にも娘の誕生を報告しました。
みんな口々に祝福の言葉を述べてくれたけど、それが辛くて辛くて仕方ありませんでした。
家の中にいるとあれこれ考えて頭がパンクしそうだったので、新大と母と近所の公園に遊びに行くことにしました。
外で新大と身体を動かしているとだいぶ気が晴れるものです。
ただ、幼い女の子を目にすると、うちの娘はあんな風には育ってくれないんだろうなと何度も絶望的な気持ちになりました。
その日の夜、妻から電話がかかってきました。
「落ち着いて聞いてほしいことがあるんだけど…」
その瞬間すべてを悟りました。
「気になって看護師さんに聞いてみたら、おそらくダウン症だろうって…。本当にごめんなさい…。」
妻は泣きじゃくりながら、僕に言いました。
妻も出産の時点でちょっとおかしいなと気づいていたらしいのです。
なんでこんなことになってしまったんだろう、どうか夢であってほしい、娘を愛せる自信がない、目はパパ似だねとか言い合いたかった、今すぐ逃げ出したい、妊娠する前に戻りたい…
お互い心に抱えているネガティブな気持ちをすべて吐き出しました。
今すぐには受け止められない、すごく時間がかかるだろうし、もしかしたら最後まで受け止められないかもしれない、二人ともそんな気持ちでした。
今は無理に受け止めなくていい、少しずつ時間をかけて、進んだり戻ったり立ち止まったりしながら、その都度思ってることを吐き出し合って向き合っていこう、そんなことを話しました。
次の日、妻が入院している病院で直接話すことを約束して電話を切りました。
その日の夜は色んなことが頭の中を巡り巡ってなかなか寝付けませんでした。
一人で考えているのが辛いので、無性にこの気持ちを自分の母に打ち明けたくなりました。
そして次の日の朝、起きるとすぐに母のところに言ってすべてを話しました。
母は僕の話を聞いた途端、顔をクシャクシャにして泣き崩れました。
「なんでよ、なんでそんな…」声にならない声で繰り返しました。
それを見た僕も涙が止まりませんでした。
母は僕を抱きしめてくれました。
「大丈夫、ばぁばもじぃじも助けるから大丈夫」と言って僕を励ましてくれました。
話を聞くと、母も娘の写真を見て異変を感じていたようです。
(思い返してみるとやたら食い入るように写真を見ていたなと思います笑)
次の日、朝から妻と芽依が入院してる病院に向かいました。
しばらくロビーで待っていると妻が来ました。出産後の疲労や痛みもあり、これまで見たことがないぐらいしんどそうな様子でした。
看護師さんが個室を用意してくれて、2人で話しました。
前の日と同じように、今抱えている不安な気持ち、心配に思っていることをお互いに共有し合いました。
僕もそうでしたが、不安からか妻もネットでとにかくいろんな情報を調べているようでした。
「分からない」ということがとにかく不安だったのです。
しばらくすると、看護師さんが芽依を連れてきてくれました。
改めて芽依の顔を見ると、なぜだかちょっと安心した気持ちになったのを覚えています。
妻が「クリみたいだよね」と言ってたのを思い出します。笑
その後しばらくして、病院を後にしました。
その日の夜、妻から突然電話がありました。
芽依の容体が芳しくなく、NICUでの治療が必要なので、別の病院に搬送されることになったというのです。
偶然にも搬送先の病院は自宅から自転車で5分ほどのところにある大学病院でした。
すぐに病院に駆けつけました。
しばらく待合室で待っていると、芽依が運ばれてきました。
そのままNICUに入って、待合室で待つように言われました。
待っている時間はやけに長く感じました。色々なことを考えていました。
1時間ほど待っていると、医師の先生と看護師さんに呼ばれ、個室で話を聞くことになりました。
やはり娘はダウン症の疑いがあること、心室の間に穴が空いていて、心不全を起こしているため、呼吸がしんどくなっているということ、できる限り早い時期に手術が必要になることなどを教えてくれました。
翌日からしばらく入院ということになり、僕は看護師さんから差し出される色んな書類にサインをして部屋を出ました。
その後、少し待っていると、NICUに案内されました。
芽依の身体には何本かの管がつながれていて、鼻には呼吸器が装着されていました。
芽依は小さい身体で頑張っていました。
しばらくその場から離れることができず、気づいたら1時間ほど経っていました。
頑張って生きようとする姿を見て、何があっても親として守っていかなければならない、と強く感じました。
病院を出た頃には深夜2時を回っていました。
次の日は父が家に来てくれました。
父も複雑な気持ちだったろうと思いますが、敢えて普段どおりの態度で接してくれて、少し気持ちが楽になりました。父らしいというか、本当に有難かったです。
出産から5日後に妻が退院しました。
久々に我が家に帰ってきた妻に、新大が待ってましたとばかりに抱きついていました。
肝心の芽依はまだ入院しているので、なんだか家族が増えた実感が湧きませんでした。
正直その時は、このまま何事もなかったように3人で暮らしていけたら、なんて考えたりもしました。
一家の大黒柱として完全に失格だなと思いますが、この頃は日によってポジティブになったりネガティブになったりとだいぶ気持ちが揺れ動いていたものです。笑
コロナ下ということで、面会は妻しか許されず、妻が撮ってきてくれる写真だけが芽依の状況を知る唯一の手がかりでした。
ママがみんなの写真を病院に持っていって芽依のベッドに飾ってくれました。
しばらくそんな生活が続く中、芽依の検査結果を伝えたいということで、8月15日に僕も病院に行って、先生から話を聞くことになりました。
検査の結果、芽依は21トリソミーの染色体異常、やはりダウン症だという診断でした。
正直、分かってはいたことなので、特に落ち込んだりということはありませんでした。
それからまたしばらくして、芽依が生まれてほぼ1ヶ月後の8月29日に無事退院することができました。
新大が芽依と初対面した時のことは今でも忘れません。
車の中で初めて我が妹の姿を目にした新大は緊張したのか、しばらくピクリとも動かず、何が起こっているのか混乱しているような様子でした。笑
家に帰って一緒に過ごしていると、ものすごく芽依にやさしく接してくれるようになり、安心しました。
この日から家族4人の生活が始まりました。
11月には1泊2日でディズニーシーにも行きました。
(詳しくは別の記事でも書きます)
新大が芽依を抱っこしている、この写真が個人的にすごくお気に入りです。
ずっと仲良し兄妹でいてほしいです。
11月末のこと、芽依の心臓手術の日が12月4日に決まりました。
またしばらく入院生活になり、クリスマスを一緒に過ごせる分からないので、一足お先にみんなでクリスマス写真を撮りました。
そして手術は無事終わり、12月19日に退院して、再び我が家に帰ってくることができました。
退院して2週間ほど過ぎましたが、手術前とは見違えるほどにミルクを飲む量が増えて、何よりもそのことに安心しました。
笑顔を見せてくれることも増えて、本当に可愛くてしょうがないです。
生まれてすぐの頃は本当に愛せるのか、かわいいと思えるのか、と不安でしたが、こうやって純粋に我が子を可愛がれるようになったことが何より嬉しいです。
と、これまでの5ヶ月を振り返ってみると、本当に色んな心境の変化がありました。
人生とはなにか、幸せとはなにか、芽依がいなかったら考えなかったであろうことをたくさん考えました。
そういった意味で、芽依がいることで自分も成長する機会を与えてもらっているのかもしれません。
この前、ふと思い立って、好きな映画のひとつであるフォレスト・ガンプを改めて観ました。
言わずと知れた名作ですが、トム・ハンクス演じるフォレスト・ガンプは幼い頃に知能指数が人より低かったり、背骨が曲がっていて歩くことがうまくできなかったりしていじめられていました。
そこから色んな縁や奇跡が重なって、有名企業の経営者として大富豪になったり、アメリカ大陸を走って縦断する姿がメディアに取り上げられて一躍有名人になったりして、最終的には成功を収めるという物語です。
映画の中で出てくる名言に「人生はチョコレートの箱のようなもの」というフォレスト・ガンプの母の言葉があります。
箱を見るだけでなく、実際にチョコレートを食べてみないとどんな味がするか分からない。人生も同じで、目に見えている事実だけで幸か不幸かなんて分からない、という意味です。
まだ芽依の人生も家族4人の生活も始まったばかり、チョコレートの箱を開けてもいない状況なのかなと思います。
これから僕たち家族の人生がどうなっていくかは誰にも分かりませんが、ひとつひとつのチョコレートの味を楽しむように、これからの日々を大切に過ごしていけたらと思います。
本当は年内にこの記事を書き終える予定だったのに、気づいたら年が明けていました。笑
ということで、2021年も田島家をよろしくお願いいたします!
A Happy New Year !!










