Labo | こどもじかんとyoga

こどもじかんとyoga

日々のたわいもない心に留めときたいこと。

美しい本物の音楽と、素晴らしい語り手さんが繋げてくれる物語を聴き

グループで、その物語を劇で表現していく、かといって、ラボは劇団でもない

登場人物の気持ちになって,ことばのやり取りを楽しんだり

時に、自分の頭の中に広がる想像の世界の草になり、風になり、沼になり、鳥になり、家になり、ドアになり、暖炉になり、梯子や、お城にもなり

身体1つで、大きさは関係なく表現していく

観客に見てもらうものでもないから

観てる側は正直分からない事もある


でも

心が動き

体が動くと

見えなかったものが、見えて来る世界

ことばも自然に体の中に入って来てしまう

自分のセリフ覚えられない子もいれば、相手のセリフもいつの間にか覚えてしまう子もいる

本来,「ことば」は、相手に伝えたいというか気持ちの動きがあり

それに伴ってことばを発する体の動きがある

そのうえで発語されるもの

それは「英語」も同じこと

このプロセスをそのまま体験すると、ラボでは言われてる

英語…と掲げてはいるんだけど

からだや、こころに残ってくものは

見逃してしまいそうなちいさな感動や、スケールの大きな感動だったり

人と心地よく交わってく能力だったり

小さきものから大きなものまで一緒に過ごしていく術だったりしたのかなと思う

でもでもでも

見守る側は、長い長ーーーい年月を要する事が良くわかった


もう、純粋なラボっ子じゃなく、親という立場になってしまった私は

飛べなくなった大人のピーターパンのようだから

時々、現実的な考え方をして継続することに、悶々としてしまう

こどもの頃は、あんなに続けたがったのに

もう、その気持ちが分からなくなる時もある


みんなで共にキャンプや、表現をする場によって、また、感動を味わうと

私の錆びついてしまった何かが溶けて、また、新しい物語の扉を開きたくなり

目とからだで表現する喜びを一緒に感じたいと

引き戻される


#自分の為の記録#ラボ#元ラボっ子