あくまでも私の持論なんですが

あくまでも私の持論なんですが

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あくまでも私の個人的な見解を好き勝手に語るブログです。
文中敬称は省略させていただきます

  ネタ企画を本当に作った「勇気爆発バーンブレイバーン」




最近もうひとつ素材としては悪くないのに何か勿体無かったなあと思ったのが「勇気爆発バーンブレイバーン」(企画・原作Cygames、監督大張正己)だ。


地球外から突如襲来した機械生命体デスドライヴズに対して、人型兵器・ティタノストライド(TS)を始めとする地球の兵器は全く歯が立たない。合同軍事演習に参加していた陸上自衛隊のTSパイロット「イサミ・アオ」も敵の攻撃に対し絶体絶命の危機に陥っていたが、そこに颯爽と現れたのがハードな世界観をぶち壊すヒーロー型ロボット「ブレイバーン」であった。


というのが第1話のストーリーだ。


初回序盤から終盤までの寡黙で冷静沈着な主人公と、終始リアルなSFロボット物としてのハードなストーリー展開を最後の最後でひっくり返すコテコテのヒーロー型ロボットの登場、という奇想天外なストーリーだが、正直なところ誰もが一度は考える「ネタ」企画と言えるのではないだろうか。

だが、それを本当に作品として制作してしまった所がこの企画の凄い部分であり、これにGOサインを出したCygamesの英断が光るのだ。


しかも、監督の大張正己と言えばサンライズ制作の「勇者エクスカイザー」から連なる「勇者シリーズ」等に携わり、当時まだ隆盛(大分飽きられていたのは確かだが)のリアルロボット路線に対抗する独特なフォルムと大胆なデフォルメのいかにもヒーロー然としたロボットアニメの第一人者と言える人物である。

そんな、いわば本家本元がネタ企画の作品監督として参加するのだ。しかもブレイバーンのデザインはいかにも大張ロボットの系譜であり、CGによるメカ描写でありながら描線が太めで手描きの雰囲気を感じさせる。

その分手描きの人物描写にやや粗は見えるが、それを差し引いてもメカ同士の戦闘シーンなどは迫力満点で作画レベルの高さを感じさせてくれるのだ。

第1話が放送されるまではその詳細が伏せられていたこともあり初回のインパクトの強さや話題性は十分で、次回以降への期待の大きさという点では同時期の作品ではトップクラスの作品だったのは間違いないと言えるだろう。


  その期待の大きさに反して


ただ、2話以降は私の中で期待度が急速に萎んでいった。


1話での冷静沈着で頼りがいのある印象だった主人公のイサミはブレイバーンに搭乗するや泣くは喚くはと情けない姿をさらけ出し、異様な程イサミに執着するブレイバーンは怪しい言動で周りをどん引きさせる。

同僚のスミスや敵側であるデスドライヴズの面々も何処か危ない雰囲気を漂わせ、挙句の果てには言葉の通じない不思議美少女ルルが場を乱すのだ。


絵柄は大真面目で作画も高いレベルを維持しながら一体いつ本格的な展開が始まるのかと思いきや、内容的にはギャグともシリアスとも取れない展開が延々と続き視聴者側としてどう解釈して良いのかわからない状態が続くのである。


自分サイズの工房でを新兵器を造りながらほくそ笑むブレイバーンや脈絡もなくボクシングで決闘?するイサミとスミス、ブレイバーンのライバルであるスペルビアを「オジサマ」と呼ぶ謎の美少女ルル等、単発で見れば面白いシーンは数あるものの、その背景では恐らく相当数の被害や死者が出ている状況である事を考えれば素直に笑えないのだ。


結局、ブレイバーンが何故イサミに執着するのか、イサミが搭乗する事でブレイバーンの能力がどう上がるのか、敵が地球を攻撃する目的は何なのか、どれも一応話の中で説明はあるのだが、理由としては今ひとつ説得力に欠けてただ描きたいシーンの為にこじつけただけに感じてしまうのである。


   過去の作品を否定した結末


(ここから最終回のネタバレあり)


終盤に向かうに連れ、話は更に支離滅裂なものとなって行く。


バッドエンドとなった未来のルルがその運命を変えたいと現在の時間軸に戻るのだが、何故そう都合良く戻れたのか。

一度は断るスペルビアは何故心変わりしたのか。

スペルビアと共に敵と共闘していたブレイバーンはなぜ脈絡もなく一騎打ちを持ちかけ、何故そこでお互いの友情を更に深めることになるのか。

突如現れた敵にブレイバーンは一撃で倒され、壊れたイサミは慌てふためき涙ながらに投降する。

そこからブレイバーンに再び搭乗して復活できたのは何故なのか。

パワーアップしたブレイバーンだが、更に全く太刀打ちできない敵が突然現れる。

そこに何故か仲間が全員集合して一斉攻撃を始め、ブレイバーンは「勇気」を集めてグリッター化(金色に巨大化)、敵ボスを倒した後ブレイバーン達は消滅し、何故か死んだはずのスミスが蘇ってめでたしめでたし、と、話の流れを見ても意味はわからず全てが唐突だ。

いや、それぞれのシーンだけ見れば感動的な展開ではあるのだが、それらは過去のアニメや特撮作品の名シーンそのままであり、王道展開そのままである。


だが私が非常に残念に感じたのはがそれらがパロディやオマージュとしてではなく、単なるパクリで終わってしまった様に感じてしまった点だ。

それもリスペクトの欠片もない茶化し方だった様に私には思えたのである。

過去作品の感動的なシーンを小馬鹿にしたような描き方は、その作品を愛する視聴者に不快感を与えただけでなく、大張正己監督自身のこれまでの作品すらも否定している様に感じたのである。


   この企画の本来の面白さと可能性


リアルSFの世界の戦闘メカと、そこに現れた外連味あふれるヒーロー型ロボットの共闘といった2度と出来ない企画の面白さは、もしかすると全く新しいジャンルを確立した可能性もあったと思うのだ。


例えば、第1話のリアルSFの世界に突如現れて「勇気があれば何でも出来る」とばかりにヒーロー然とした力任せの攻撃を繰り返すブレイバーンに対し、冷静沈着なイサミが「そんな戦い方では駄目だ」とブレイバーンを操縦してその戦闘技術で敵を圧倒したり、逆に仲間と連動したリアルな戦術を駆使し、たようやく敵を追い詰めた所でブレイバーンが勝手に必殺技で外連味たっぷりに敵を倒す、といった笑える要素を盛り込みながらも感動的な映像表現を魅せる様な作品も十分制作できることも出来たはずなのである。


今回の「勇気爆発バーンブレイバーン」のマニアックなギャグ展開はあくまでも視聴者を喜ばせるネタであり、何かしら爪痕を残してくれる作品、更に言えば大張正己ならではの新しいヒーローロボットアニメが観ることが出来るのではないか、という期待が大きかったはずなのだ。

それだけにネタ企画をネタのまま、薄ら寒いギャグアニメとして完結させてしまった事は本当に残念としか言いようがないのだ。