今、私はやっと自分の小さい器の不甲斐なさから
わかっていながら開放される様な気がしている。
小さい頃から、母は仕事が忙しく、看護師だったので、夜勤もあり
家にいない事が多かった。
仕方がないだろうが、家にいても、夜勤明けで寝ているか、仕事で疲れて
機嫌が悪いので
全然近づけなかった。
会話もお父さんを通してぐらいでしか無かったし、
炊事、洗濯や、子供の送り迎えは全て父がしていた。
父も、厳格な父であり、教師をしていたので
教育、生活面などが悪いと、短気なのですぐ怒って
本当に怖い存在だった。
そういう意味では、寂しい、怖い、窮屈・・・・人の顔色を毎日みながら
怒らせない様に、自分を殺して子供のくせに言いたいこともいわずに、
大人しい子供でいなければならなかった。
おばあちゃんや、親戚の人に会っても、買い物にいっても、買いたいものは色々
あるのに、ねだったりすると
母の影からの鬼の様な形相が私をみている。。。
何もいらない。。。。
と、言うしかない。。。。誰かに言われたことがある。
子供なのに子供らしくない
そうだろう。。。わがままなんていうものなら
、後どれだけ母がヒスを起こすか・・
かばってくれる人なんてだれもいなかった。
私の誕生日のケーキも母の好きなケーキ・・
私は食べられないケーキを買ってくる
でも。。何も言わなかった。。。
お兄ちゃんの食べ物の好き嫌いは全部知ってるのに。。。
私の好き嫌いは全然知らない・・・嫌うと怒るだけ
食べなさい!
お菓子もみんな甘いものが好き、、私は全然家にあっても食べられないし
スナック菓子なんてものは、体に悪いと殆ど家にはなかった。
小さい頃から私は、何か手に職をつけなさい。
といわれ続けていたので
自分でもそれは意識しながら、小さい頃から、
自分の好きな事を色々探っていた。
ただ、看護師だけは絶対しないと、誓っていた。
こんな母になるんなら、こんなに子供を見れない、
みない、いつも不機嫌で疲れていて、
父としか話をしない母なんて・・
子供の事を無関心になってしまう
のなら、絶対嫌だったし、家にいないことも、
話が出来ないのも私は寂しかった。
きっと両親は看護師に進むのを期待していたのかもしれない。。。
でも、私の中には120%あり得なかった。
あと、母が仕事で殆ど家にいないことで
、私は家で出来る仕事も小さい頃から憧れていた。
多分、私の全ての考えは、
母から受けた態度への反発と自分が母になったらこうはならない。。
という反面教師だった。
だからといって、私も高校の時などは、当然両親をなるべく避けたり
話をすることも少なく、中学ぐらいの時から、もう自分の進路はこれしかない
と決めていたことも、両親には高校卒業後の進路を聞かれるまで
話もしなかった、、まぁ、聞かれもしなかったのかな。。。
その進路の話になったとき、
始めて私は美容師になりたいから美容学校と、父に言った
もちろん そうか という様な反対もない返答が来ることを信じきっていた。
だが・・・違った・・・
父の返答は それ以外何してもいいので美容師だけはやめてくれ
だった。
本当に、一瞬頭をとんかちで殴られた様なショックだった。
もちろん母も何も言ってくない・・・
だからといって、それ以上反抗する元気もやり方も、私は知らないし
分からなかった。言われた様にするしか無かった。
そう、あの頃の私は両親の望むレールの上から脱線する勇気もなかった。。
ただその半年後、両親の提案したPCの専門学校に入って、家を出る。。
もう耐えられなかった。
どれだけがんじがらめにされてきたか・・・もう我慢できなかった。
バイトしながら、家賃だけ両親に払ってもらって、光熱費と食費は自分で
出すからと、約束をして、
そこまで言うと、すぐ帰ってくるのではないかと、両親は思っていた。
私にもそう言っていた。
でも私は、それから就職しても結婚するまで、実家には帰らなかった。
いい加減だった、投げやりだった時期もある。。。
でも、やはり、美容師を諦めかけていたけど、
自分に子供が出来たのがきっかけで、また、美容師の道を目指そうと。。。
本当なら、もう諦めて当然な年齢に達してはいた。。。
周りの人はきっと鼻で笑っていた。。いまさら。。。。。
恥ずかしくないの?
だから?また人の目を気にして諦める?自分の人生は自分が変えるしかない
もし叶わなくても・・・ずっと年齢制限をきにしながら
パートを探したり、嫌な仕事を続けるのか?
私は嫌だ
あと、本当に頑張れば、将来家で仕事が出来る様になるかもしれない。
自分の店をもてるかもしれない。
諦めれば100%叶わないけど、やれば、望みは100%叶わないわけでは無くなる
本当の試練はそれからだった。いざ入ってみれば皆年下ばかり。。当たり前ですが
子供を保育園に預けながら、
毎日馬鹿にされながらも、真面目に自分の夢を壊さない様。。。
辛いことがあると、毎回思う事
ここで諦めたら、私の夢は無くなってしまう。。と
どんなに辛くても、これだけはやり抜くと決めたこと。。
あまりにひどい場所なら、場所を変えてでもいい。。と
だから頑張れたのだと思う。
でも、一生懸命になるしかなかったあの頃振り返ってみると
結局、子供達には私と同じ様に寂しい思いをさせてしまっていた。。。
そんな自分に気づいた時、一時期ですが、普通の職業に戻った。。
土日ちゃんと休めて、事務職の経験を生かして
3年ほど、また、夢から遠のいていた。
でも、子供が落ち着いたら、また必ず戻ると決めていたので
子供が小学校に入ると同時に、また美容の世界に戻った。
子供には押し付ける教育もしない、やりたい様にやらせた。。。
おもちゃも買ってもらえなかったので、贅沢ではないけど、
普通の家庭の様におもちゃもあったし、普通の子供として育てたつもり。。
だけど、ダメなことをしたら怒るのは当たり前だし、私が怒る役目だったけど
小さい頃は一生懸命子育てもした。
前夫は一切家のことはしなかったので
子育て、家事、育児は私の仕事だった
うつ病になっても・・・
やらなければ誰も手伝ってくれない。
昔の夫が家庭を壊した。色んなことをして。。離婚も成立
最初は私と子供達と住んでいたが、前夫にも制限なく会える様にしていた。
私が再婚相手と付き合う様になってからは
まぁ、早い話が、前夫が怒って、子供達を奪っていった。
でも子供達も前夫を選んだ。。
私の心の傷は自分が思っているよりも深かったし、気付くと辛い思いにかられてしまう。
結局私は自分の母と同じではないか。。。
こうして、ずっと自分の母との傷を思ってしまっているから
こうなってしまったのではないか。。。
それから、自分の店が現実になり、今は自宅で美容院が出来るまでになった。
再婚した相手の子供も産まれた。
仕事も、家庭中心の無理のない、子育てもまた一からのやり直し
ただ、やり直しができない、大きくなった子供達とは、今でも
うまくいかないし、分かってもらえない。
それだけが、ずっと何かある度にひっかかっていたし、その度に
自分が壊れたり。。。
私には今の家庭を守らないといけないのに。。。
でも・・・・今回、少し、自分の母との距離が、まだまだ遠いけど
縮む様に、考えて行こうと思った。
そう思ったら少し楽になった。。
今までの事、感謝して生きようと思ったら、少し楽になった。。。
暫く沈黙して・・・・子供たちにまた会える日が来るのを待とう・・・
冷静に少しそう思える様になった。。。
前に進むしかないんだから。。。。
わかっていながら開放される様な気がしている。
小さい頃から、母は仕事が忙しく、看護師だったので、夜勤もあり
家にいない事が多かった。
仕方がないだろうが、家にいても、夜勤明けで寝ているか、仕事で疲れて
機嫌が悪いので
全然近づけなかった。
会話もお父さんを通してぐらいでしか無かったし、
炊事、洗濯や、子供の送り迎えは全て父がしていた。
父も、厳格な父であり、教師をしていたので
教育、生活面などが悪いと、短気なのですぐ怒って
本当に怖い存在だった。
そういう意味では、寂しい、怖い、窮屈・・・・人の顔色を毎日みながら
怒らせない様に、自分を殺して子供のくせに言いたいこともいわずに、
大人しい子供でいなければならなかった。
おばあちゃんや、親戚の人に会っても、買い物にいっても、買いたいものは色々
あるのに、ねだったりすると
母の影からの鬼の様な形相が私をみている。。。
何もいらない。。。。
と、言うしかない。。。。誰かに言われたことがある。
子供なのに子供らしくない
そうだろう。。。わがままなんていうものなら
、後どれだけ母がヒスを起こすか・・
かばってくれる人なんてだれもいなかった。
私の誕生日のケーキも母の好きなケーキ・・
私は食べられないケーキを買ってくる
でも。。何も言わなかった。。。
お兄ちゃんの食べ物の好き嫌いは全部知ってるのに。。。
私の好き嫌いは全然知らない・・・嫌うと怒るだけ
食べなさい!
お菓子もみんな甘いものが好き、、私は全然家にあっても食べられないし
スナック菓子なんてものは、体に悪いと殆ど家にはなかった。
小さい頃から私は、何か手に職をつけなさい。
といわれ続けていたので
自分でもそれは意識しながら、小さい頃から、
自分の好きな事を色々探っていた。
ただ、看護師だけは絶対しないと、誓っていた。
こんな母になるんなら、こんなに子供を見れない、
みない、いつも不機嫌で疲れていて、
父としか話をしない母なんて・・
子供の事を無関心になってしまう
のなら、絶対嫌だったし、家にいないことも、
話が出来ないのも私は寂しかった。
きっと両親は看護師に進むのを期待していたのかもしれない。。。
でも、私の中には120%あり得なかった。
あと、母が仕事で殆ど家にいないことで
、私は家で出来る仕事も小さい頃から憧れていた。
多分、私の全ての考えは、
母から受けた態度への反発と自分が母になったらこうはならない。。
という反面教師だった。
だからといって、私も高校の時などは、当然両親をなるべく避けたり
話をすることも少なく、中学ぐらいの時から、もう自分の進路はこれしかない
と決めていたことも、両親には高校卒業後の進路を聞かれるまで
話もしなかった、、まぁ、聞かれもしなかったのかな。。。
その進路の話になったとき、
始めて私は美容師になりたいから美容学校と、父に言った
もちろん そうか という様な反対もない返答が来ることを信じきっていた。
だが・・・違った・・・
父の返答は それ以外何してもいいので美容師だけはやめてくれ
だった。
本当に、一瞬頭をとんかちで殴られた様なショックだった。
もちろん母も何も言ってくない・・・
だからといって、それ以上反抗する元気もやり方も、私は知らないし
分からなかった。言われた様にするしか無かった。
そう、あの頃の私は両親の望むレールの上から脱線する勇気もなかった。。
ただその半年後、両親の提案したPCの専門学校に入って、家を出る。。
もう耐えられなかった。
どれだけがんじがらめにされてきたか・・・もう我慢できなかった。
バイトしながら、家賃だけ両親に払ってもらって、光熱費と食費は自分で
出すからと、約束をして、
そこまで言うと、すぐ帰ってくるのではないかと、両親は思っていた。
私にもそう言っていた。
でも私は、それから就職しても結婚するまで、実家には帰らなかった。
いい加減だった、投げやりだった時期もある。。。
でも、やはり、美容師を諦めかけていたけど、
自分に子供が出来たのがきっかけで、また、美容師の道を目指そうと。。。
本当なら、もう諦めて当然な年齢に達してはいた。。。
周りの人はきっと鼻で笑っていた。。いまさら。。。。。
恥ずかしくないの?
だから?また人の目を気にして諦める?自分の人生は自分が変えるしかない
もし叶わなくても・・・ずっと年齢制限をきにしながら
パートを探したり、嫌な仕事を続けるのか?
私は嫌だ
あと、本当に頑張れば、将来家で仕事が出来る様になるかもしれない。
自分の店をもてるかもしれない。
諦めれば100%叶わないけど、やれば、望みは100%叶わないわけでは無くなる
本当の試練はそれからだった。いざ入ってみれば皆年下ばかり。。当たり前ですが
子供を保育園に預けながら、
毎日馬鹿にされながらも、真面目に自分の夢を壊さない様。。。
辛いことがあると、毎回思う事
ここで諦めたら、私の夢は無くなってしまう。。と
どんなに辛くても、これだけはやり抜くと決めたこと。。
あまりにひどい場所なら、場所を変えてでもいい。。と
だから頑張れたのだと思う。
でも、一生懸命になるしかなかったあの頃振り返ってみると
結局、子供達には私と同じ様に寂しい思いをさせてしまっていた。。。
そんな自分に気づいた時、一時期ですが、普通の職業に戻った。。
土日ちゃんと休めて、事務職の経験を生かして
3年ほど、また、夢から遠のいていた。
でも、子供が落ち着いたら、また必ず戻ると決めていたので
子供が小学校に入ると同時に、また美容の世界に戻った。
子供には押し付ける教育もしない、やりたい様にやらせた。。。
おもちゃも買ってもらえなかったので、贅沢ではないけど、
普通の家庭の様におもちゃもあったし、普通の子供として育てたつもり。。
だけど、ダメなことをしたら怒るのは当たり前だし、私が怒る役目だったけど
小さい頃は一生懸命子育てもした。
前夫は一切家のことはしなかったので
子育て、家事、育児は私の仕事だった
うつ病になっても・・・
やらなければ誰も手伝ってくれない。
昔の夫が家庭を壊した。色んなことをして。。離婚も成立
最初は私と子供達と住んでいたが、前夫にも制限なく会える様にしていた。
私が再婚相手と付き合う様になってからは
まぁ、早い話が、前夫が怒って、子供達を奪っていった。
でも子供達も前夫を選んだ。。
私の心の傷は自分が思っているよりも深かったし、気付くと辛い思いにかられてしまう。
結局私は自分の母と同じではないか。。。
こうして、ずっと自分の母との傷を思ってしまっているから
こうなってしまったのではないか。。。
それから、自分の店が現実になり、今は自宅で美容院が出来るまでになった。
再婚した相手の子供も産まれた。
仕事も、家庭中心の無理のない、子育てもまた一からのやり直し
ただ、やり直しができない、大きくなった子供達とは、今でも
うまくいかないし、分かってもらえない。
それだけが、ずっと何かある度にひっかかっていたし、その度に
自分が壊れたり。。。
私には今の家庭を守らないといけないのに。。。
でも・・・・今回、少し、自分の母との距離が、まだまだ遠いけど
縮む様に、考えて行こうと思った。
そう思ったら少し楽になった。。
今までの事、感謝して生きようと思ったら、少し楽になった。。。
暫く沈黙して・・・・子供たちにまた会える日が来るのを待とう・・・
冷静に少しそう思える様になった。。。
前に進むしかないんだから。。。。