年末年始は東京で過ごした。
しかし、正月までは一人で過ごすことになった。前々から、娘に会えるなら帰ると言って、その間で都合つけると言っていたが、調整してなかった。最悪、会えずに帰ることになるかもとおもったが、2日に一緒に109で買い物に行くということになったらしく、その夜に会えることになった。
クリスマスに何もあげられなかったので、何か欲しいものあれば買うとママにメールしたところ、靴が欲しいらしいということで買ってあげた。
ご飯はふぐ料理、まだ、一緒だったころから、正月はふぐ料理を食べていた。別居してからも、ふぐを食べにいったこともあった。
会った娘は見た目は昨年あった時の印象とあまり変わっていなかった。背が少し伸びたかな?160cmを超えたと言う。反抗期は少し収まってきたようで、穏やかだった。だが、喋らないのは相変わらずで、いろいろ話しかけても、積極的に答えない。ママを通してだったり、将来のことなど結局は一方的に話すことになりがちだった。
後で聞くと、何においてもママに聞き判断をあおぐらしい。結局反抗期はうまくいかなかったのか、強制的に別居によって環境を変えられたことによって自分の判断を放棄してしまったのか、少なからず影響があるのは確かだろうと心が痛くなる。
フグを食べ、娘と写真を撮った。いい写真だ。写真が成長の証拠として日々見れる唯一のものなので嬉しい。そして、もっと嬉しいのはLINEでやりとりしていいことになったこと。LINEは勝手にアカウントが出るので知っていたが、以前、受信拒否(たぶん)されたこともあり、送れないでいた。メールはほとんど見ないとの話になり、だったらと、LINEの許可がでた。帰って少し難儀したが、無事やりとりできた。おまけに、ママともLINEが開通してしまったが。
娘とは握手して別れた。次はいつ会えるのか?また、1年後なんだろうか?
翌日、ママと会い、塾の書類に書きつつ、もう丸5年が過ぎた、僕の時間はあの時から止まったままで監獄に閉じ込められているよう。心の病気もこのままではずっと治らない。前に一歩踏み出したいので、区切りたいという話をした。
途中また昔のあなたはひどい人で私がどれだけ大変だったか、なぜ出て行ったかわからないのかとエキサイトするいつものパターンもあったが、スタバだったこともあり、激しくならずに済んだ。自分の悪かったところは何度もいう通りだと認め謝ってきた。そんなことばかり言って何をどうしたいというのだ?もう何にもならないではないか?
息子は春から就職、娘は受験で塾の費用、大学のお金もかかる。これまでのようには、生活費は振り込めない。半分にさせて欲しいという話をすると困るという。困るだろうがこちらも首がまわらないのだ。出て行っといて何不自由なくというのはやはり虫が良すぎる。別に娘にかかる塾代やら大学費用は払っていくのだ。他に頼るのはもう限界がある。別れること自体は異論はなかった。
別れ際、離婚届を渡して帰ってきた。
一歩を踏み出す。
しかし、それから1ヶ月、出したとも何も言ってこない。多分、どれだけ金が取れるか計算しているのだろう。関わるのは金の話だけ、何も他に話してこない。娘の話もずつとなかった。悲しすぎる。