おじが死んで週末、葬儀に神戸に行ってきた。
父の姉の旦那。
子供の頃、よくかわいがってくれた。
もう、10年以上あっていなかった。
人の死に直面したのは2度目。
母の父、おじいさんが死んで以来、人の死んだ姿を見たのは2度目だ。
不思議なくらいに魂のないその姿にショックを受ける。
その肉体にはもう魂は宿っていない。
おじいちゃん、お花がいっぱいだね。
と言う、はじめて会う、甥たちの言葉に、思わず涙する。
骨を拾うのははじめてだ。
システマチックに焼かれていく肉体。
70数年生きた体は一瞬にして焼かれる。
残った骨は高熱でボロボロだ。
糖尿で切断したため、大腿骨は片足しかない。
慣れた手つきで、これはどこどこの骨ですと解説を加えながら、ハシで骨壷に入れることを促す係員。
すべての骨は入らないのでなのか、何の感情もなく、ボロボロと壊していく。
そんな風に扱うな!ともしも、例えば僕の両親だったら、俺は怒鳴っただろう。
人は死ぬ。
死ねば、すべて終わる。
その後、故郷である福岡にも足を伸ばし、親妹たち家族とともに過ごす。
父方のおばあちゃんのお見舞いにも行く。
もう97だ。
その姿は、先ほど見た魂の抜けた体に似て、かなりやせこけ弱り、話す言葉もわからない。
弱弱しく見つめるその潤んだ瞳だけが、生を物語っていた。
2年ぶりに会った祖母。変わらず寝たきりのその姿。
次に合うことはあるのだろうか。
人の人生。
人の生。
人の死。
生と死。
久しぶりに、死ぬことが怖くなった。
死ねばそれで、何十年も過ごしてきた自分という存在は消える。
その一秒後には、世界を認識する自分はいなくなる。
そして、肉体は数日後焼かれる。
少なくとも後、数十年後にはそうなる。
いや、明日かもしれない。
生きることの意味。
こうしていることの意味。
あなたはわかりますか?
僕は、あまりにも身近な死と、死に近い祖母と、そして、いずれ死ぬ、最近めっきり老いてきた両親に会い、自分の死を身近に感じ、わからなくなりました。
おじさん、まだ、そのへんうろうろしてるの?
なくなった夜、線香のにおいがした。
すべての仕事をキャンセルして、葬儀に行くことに決めた。
あれから、俺、おかしいよ。
もう、天国行ってくれよ。
おじさん。
さようならね。
楽になってよかったね。
でも、1人で行きなね。