今日はおじいさんの命日でした。


1945年7月19日


ビルマ(ミャンマー)にて、戦死。



職業軍人だったおじいさんは、大陸の戦地になんども行きましたが、終戦間際にビルマに発ちました。


そのころ、ビルマあたりも日本植民地であり、たくさんの民間人も含めて、日本人が住んでいました。


しかし、戦況が悪化、邦人は逃げなければならない状況になりました。


そこに、おじいさんは、邦人を無事に逃がす任務のため、行ったのです。


その一部始終が書かれている本(無事、生きて帰った部下の一人が書いた)が数年前、見つかりました。


将校達はみなを置き去りにし、飛行機で逃げ出し、ほとんどが民間人で武器もろくなもんじゃない状況の中、おじいさんが大隊長として引きいる逃避行の大隊は行軍を始めました。


1カ月以上、ジャングルの中を敵の砲火をかいくぐりながら、たくさんの邦人を連れたおじいさんの大隊は逃げ続けました。途中、危険な目にあいつつも、決しておじいさんは戦いませんでした。敵と交戦すれば、多くの民間人が巻き添えになってしまう。ヘタすれば全滅してしまうことがわかっていたからです。

若い部下は何故戦わないのfだと詰め寄る場面もありました。でも、おじいさんは決して戦いませんでした。


そして、大きな川を渡れば、まだ、敵の手は及ばないという地まで来た時、ある村に大隊は休息しました。そこには、村人が残していったブタやトリがたくさんいました。腹を減らしてジャングルを歩き続けてきた部隊。銃声がとどろき渡り、誰からともなく、ブタや鳥を殺し始めました。やっとの食事です。

戦場では、潜伏中の銃声は相手に居場所を教えるようなもの。しかし、目の前に安全が近づいた今、おじいさん含め、首脳陣もそれを黙認してしまいました。

久しぶりにたらふく食事にありつき、酒を飲み楽しい時間がすぎました。

そのとき、突如として、空を引き裂く砲声がなり、村で一番大きな村長の家に最初に被弾。

そこは、大隊本部だったのです。

一発の砲弾で、おじいさんの右大腿部はそがれました。この一撃で首脳陣の大半も死にました。

おじいさんは、「俺はもう助からん。俺にかまうな。逃げろ!」といいました。


攻撃がやみ、亡骸は部下が埋めてくれたそうですが、未だ、骨は帰ってきていません。


その後、部隊は文字通り必死で川を渡り、多くの人々が助かりました。




僕は、職業軍人であったおじいさんを、その時代をしっかり生きた人物だと思っています。

彼は、戦争をある意味引っ張った人間の一人です。生きていても、戦犯になったでしょう。

でも、そんな中でも、彼に常にあったのは、家族に対する愛であり、人の命の尊さだったと思っています。


もちろん、僕は戦争は嫌いです。そんなことはすべきではない。今、憲法改変論もありますが、第9条の戦争放棄は日本の誇りだと思います。日本は平和国家としてのアイデンティティーをもっと持つべきだと思う。

戦争は決してしちゃいけない。武器で制しちゃいけない。


でも、僕はおじいさんを尊敬しています。


僕の後ろには、ずっと、子供のころからこのおじいさんがいて、守ってくれ、たくさん助けてくれきました。そう感じています。


今も、毎日、軍服姿のおじいさんの写真にお茶をあげ、線香をあげて、今日も一日お守りくださいと手をあわせます。


実は、そういいいながら僕はおじいさんの生まれ変わりだと最近思っているのです。



だって、今、働いているビルが建っている土地は、昔、おじいさんが働いていた陸軍のあった場所だから。


僕はひょんなことから、この仕事をするようになって、それ以来、ずっとこの土地で仕事している。


時を超え、おじいさんがかつて働いた同じ場所で、今、僕は働いているのです。




今日は、おじいさんの命日でした。


魂の繋がりって、僕は信じます。