最近、口に関西弁が戻ってきた。
僕は、生まれが福岡、育ちが大阪のまあ、関西人です。
東京に出てきて、14年、初めは「関西弁とおしたる!」と思っていたけど、
東京では、コミュニケーションが成り立たない。
会話のキャッチボールのリズムが違う。
それで、関西弁は使わないようになっていた。
特に仕事ではだめ。
関西出身とわかると「じゃあ、関西弁でいっときましょかぁ」って少ししゃべる程度。
でも、最近すっかり関西弁になってもうた。
Mちゃんも関西出身やし、このブログの世界もなぜか、関西人が多いような気がする。
そんなわけで、すっかり口に関西弁が戻ってきたわけです。
しかし、PCや携帯の変換だけは、何とかならんのやろか?
今かて、{何とかならんのやろ過」と変換しよった。
関西弁変換ソフトがあったら売れるかも。
やっぱり、関西弁好きです。
僕は完全に西の人間、いわゆる関が原以西の人間なので、
西の人間の心や空気が大好きです。
大阪行くだけでほっとする。
これは、個人的、僕の育った環境によるものなので、他の地域の皆さん気を悪くしないで下さいね。
例えば、女の子が嫌いなものを前に
「うちこれきらいやねん。変わりに食べて~や、な!」と
「私これきらいなのよね。変わりに食べてよ、ね!」では
感じ方が違う。
「もう、しゃあないなあ」とより、思えるのは前者。
あまりいい例が思いつかないけど、関西弁を聞くだけでピピっと反応して、かわいいなあと思ってしまうんです。
東京に来て、初めての時、右も左も分からなくて、駅員に改札で「どっちいったらいいですか」って聞いたことがある。
その時、駅員は口も開かず、あごで指した。「東京ってほんま冷たいねんなあ」ってその時思った。
大阪だったら、「そんなんも知らんのかいな兄ちゃん。あんな・・・」と教えてくれる。下手したら、分かるところまで連れて行ってくれる。
地方はどこもそうかもしれないけど、僕にとっての大阪(関西は)とても人がよく懐の深い暖かい場所なんです。今でも。
きのうひょんなことから、学生時代の神戸を思い出した。
学生時代の7年間、僕は神戸に住んでいた。
3留したからね。
そのほとんど毎日を過ごした店が、大学のある駅前にあった
ブギーというCAFE BAR。
僕は、毎日のようにサークルの帰り、学校の帰り、バイトの帰り、何もなくともその店に通った。
その頃、村上春樹が大好きだった。
ちょうど神戸を舞台にした初期三部作、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」
その主人公の「僕」と「鼠」。2人はJ’s BARという店に入り浸り、ひと夏でプールいっぱいのビールを飲んだ。
僕の親友と僕はその主人公たち2人と全く同じように、毎日、ブギーで浴びるようにビールとバーボンを飲み続けた。
そして、その主人公たちと同じように、少しずつ違う道を歩み始めた。
前述の女の子 に振られたショックもあり、僕は、今考えると、うつ病かノイローゼになった。
その頃、仲間みんなは卒業し、ブギーに僕は1人残ることになった。
昼間は寝ていて、夕方に起き、(当然大学に行かずに)ブギーに行く。
その日初めての食事をし、また酒を閉店まで飲む。
そんな繰り返しの日々。
そんな俺を温かく見守ってくれたのが、オーナーであり、店長であり、長く店で働いていたはるちゃんという女の子だった。
はるちゃんには随分助けられた。
Hはなし。だけど、俺が荒れている時にいつも付き合ってくれた。
「おーい、歌いたい気分やねん。カラオケ行くで」
「オッケー」
みたいな感じだ。
スタイルのいい女の子だった。
いつも、「やらせろ」って冗談で言ってた。
とうとうせずじまいだったけど。
そして、ブギーで新たにバイトで入ってきた女の子かずちゃん。
僕はその子を一目見た時から、恋に落ちた。
付き合うまで時間はかからなかった。
どちらともなくひかれ合い、恋人になった。
その子と付き合うことで、僕は人生を再スタートさせることができた。
その後、彼女とは同棲することになるわけだけど、また、その時のことはいつか書くわ。
ブギーはその後、僕の卒業1年前につぶれることになる。
オーナーが欲を出して、もう1店舗、大きな店を構えることにしたのだ。
巨大な借金を抱えて。
もとのブギーは小さな、25人も入ればいっぱいな店。
それを100人以上入る店をもう1店舗持つというのだ。
だけど、僕たちは興奮した。
店を立ち上げるための話し合いや、新店舗の完成を初めて見に行った時のこと、メニューを決めたり、開店準備のために、様々なチェックをしたり。
そう、客だった僕はいつしか、店を手伝っていた。
でも、新店舗は開店して数ヶ月で資金繰りがうまくいかず、閉店、もとのブギーも閉店することになってしまった。
大学時代の青春が凝縮したブギー。
今はもうない。
その後、ファーストフードの店が入った。
それまで、 「お、まいど!」という挨拶は「いらっしゃいませ」に変わった。
そして、そんな想い出のいっぱい詰まった神戸は1995年1月17日5時46分に破壊される。
明日で(もう今日だけど)11年目だ。
あの時、僕はもう東京にいた。
朝起きて、何気なくつけたテレビに破壊された神戸の町と火災が映っていた。
ショックで呆然とした。
映るところ映るところが知っているところだった。
いや、知っているところのはずだった。
住所を言われてもわからないほど、破壊されていた。
震災から3日後にブギーのはるちゃんと連絡が取れた。
彼女は神戸生まれの神戸育ち、家が神戸にあったのだ。
「朝まで飲んでて、家の前で車止めて、ボーっとしてたら、いきなり車の天井にたたきつけられたわ」と。
でも、無事だった。よかったと思った。
近い知り合いは幸いにも亡くなった人はいない。
家が壊れた人はいたけど。
はるちゃん、今はどこで何してるんだろう。
きっと、子供産んでいいお母さんになてるんだろうな。
かずちゃんも、どうしているか知らない。
話は戻り、あの震災からぼくは神戸に行けなかった。
3年後、ようやく復興したと言われるようになって、はじめて神戸にいく気になった。
その頃、付き合っていた子と「悪いけど神戸の想い出巡りしたいから付き合ってくれ」と頼んで神戸に旅行に行った。(不倫旅行です♪)
想い出のあるところ、すべてをまわった。
かずちゃんと同棲していたマンションは残っていた。
だけど、その前にある毎日のように通った定食屋はまったく別の店になっていた。
よく見ると、あっちこっちが新築の家や店に変わっていた。
でも、元気な神戸を見てほっとした。
あの頃の想い出は僕が最も成長した地、神戸に今もある。
震災から11年。
ご冥福をお祈りします。
神戸は僕にとって特別な地なのです。
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