着物姿の
補整についてや、
髪型についてのブログを書いてきました。
思った以上の方に見て読んでいただき、嬉しいです。
でも、
人それぞれで良いと思います。
「こうしなければならない」という事ではなく、
「こんなやり方もあるけど~~」
くらいの感じで書いています。
私の着物歴は、まだ楽しいだけの3年目。
そして、
今は、綺麗に着ることへの研究が好きなストイック派です。
でも、今後ゆるゆる派に変わるかもしれません。
私は着物を着はじめる前に、ゆかたを楽しく着ていました。
それは日本に居た時から、夏の普段着の、ワンピースを着るか、ゆかたを着るか、というワードローブの選択肢の一つという位置づけでした。
タイに住む事になり、最初は躊躇したものの、ほどなくして
せっかくの常夏、一年中ゆかたを着れるではないか!
と、これまた日々のお洋服を選ぶのと同じ感覚で、ゆかたを選ぶ日が出来ました。
ところが、以前のFBでのゆかた論争
Facebookで炎上した「浴衣」の話題について
の後、
私はゆかたを
以前のように楽しく着れなくなりました。
自由で楽しいことが、窮屈なものに変わる時。ゆかたや着物を着る理由
そ、「浴衣」を意識的に「ゆかた」と表示するようにしました。
人の言葉の影響からです。
でも思うのです。
その時の自分も
何かを発言した人も、
そこにはとどまっていないんじゃないかと…。
もし、私の発信で心乱された方がいたのなら申し訳ありません。
が、私は多分来年はゆかたを楽しめるような気がしています。人の言葉に揺れながらも…。
補整の事を気にしなくてもOK
気にしてもOK。
髪を気にしなくてもOK
気にしてもOKなんです。
私は「どうしたらいいかな」という人に向けています。
「こうしたい」のヒントになれば、と思って…
経験値が増えると、見えなかったものが見えてきます。
行動すると、理解出来なかった事も理解出来るようになります。
着物
のブログで書いていますが、
それはどんな事にでも当てはまるんだと思うんです。
人は人。
自分は自分。
自分はどうしたいか。
人を見て、共感したり、自分と同じだと感じたり違うと感じたり、
攻撃したくなったり、嫌いだと感じたり…(自分に内包されている、自分に許可していない事を相手がしている、自分の中で隠している事など同族嫌悪の場合が多いですね)
それで自分がわかる事があります。
自分を知る事
私のテーマは常にそこにあるような気がしています。
へー今のヒロコさん、こんな感じなんだね~
くらいの気軽さでお読みいただけたら幸いです。