さて、レポも第7弾です・・。(長いっス!(^_^;))
では、どうぞ('-^*)/
このミス・サイゴンの舞台練習は根本から
ベトナムの事を叩き込まれました・・。
まずベトナムの映画を見て、向こうの習慣、
風俗を学ぶというくらい徹底していました。
そんな中、彼女は私にこう言うんです・・。
「ボス・・私、舞台では演じないからね。生きるからね。
演じていたらウソのキムになっちゃう・・。
私はキムとして舞台で生きてみせるから・・。」
その彼女の考えを尊重して、私達は実際に
ベトナム迄行った事もありました・・。
現地でその習慣、生活を見て、彼女にとっては
凄くプラスになりました。
彼女は何事にも真剣で絶対、手を抜きませんでした・・。
いわゆる「完璧主義」だったのです。
とことんまで突き詰め納得して、そして次のステップへ行く・・。
皆さんが今までの話で、なんで彼女が次から次へと
変わって行くのか不思議に思うかも知れませんが、
それには彼女が口ぐせの様に言っていた、
この言葉で判ると思います。
「一つ挑戦する事に、新しい自分が見えるの・・。
その新しい自分を見たいから新たな挑戦を私はする。」
だから、歌手、ロック、そしてミュージカルと
彼女は自分なりに新しい自分を見つけ出して来たのです・・。
そしてその中で最大限、自分を生きてきた・・。
「ミス・サイゴン」の一年半のロングランも凄い事ですが、
それに掛ける彼女の意気込みも凄いものがあり、
歌う事で一番大切な「喉」のケアも人一倍気を使っていました・・。
帰宅して家では「執談」で、「緑茶うがい」等もしていましたし、
帝劇の楽屋は畳張りなのですが、埃が舞うので
フローリングにしていました。
そうした結果、ミス・サイゴンはとても高い評価を受けました。
その後も、「屋根の上のバイオリン弾き」や「王様と私」等、
数々のミュージカルに出演する様になり、美奈子はミュージカル界では
無くてはならない存在になりました・・。
そうした中で「王様と私」の時、美奈子は
ボイストレーニングを受けていたのですが、
3人居たボイストレーニングの先生を
一人にしてくれと言って来たのです。
その理由を尋ねると・・
「もう、自分の声のポジションを掴んだから・・。
だからもう、何オクターブの音域の歌も歌える様になったの。」
実際に「王様と私」の中では、
もの凄く高い音程の歌があるのですが
それを美奈子は歌いこなしていました・・。
その評価はすこぶる高いものでした。
美奈子がこうしてやって来れたのには
回りに色々な方が、助言をし支えてきた事も事実です・・。
その中でも、日本のミュージカルの数々の翻訳や
歌手の作詞を手掛けて来た岩谷時子先生が居ました・・。
今年で94歳になられた先生ですが、
越路吹雪さん亡き後、美奈子と出会い
その歌声に多いに期待を持たれていました・・。
そんな先生に美奈子は、こう言ったそうです。
「ねえ先生・・
私、こうしていろいろな声が出せる様になって思ったの・・。
クラシックに日本語の詩を付けて歌ってみたい・・て。」
私は思いました・・。
また、美奈子は「新しい自分」に向かって進み出したんだなって・・。
~つづく~
(次回、4月下旬更新予定)