先日、NHKで放送された、「本田美奈子.最期のボイスレター」は既に先月、BSで放送された「完全版」に比べると、約半分に編集されていました・・。

内容が分かり易く編集されていたので、美奈子.さんの事をそれ程、知らない方でも、何かしら感じる事が出来たと思います・・。

ただ・・やはり、ここは完全版の事も皆さんに知ってもらいたいと思いまして、私の感想も含めた番組レポをご紹介したいと思います・・。

書くと止まらない性質なので、少し長いですが、最期まで読んで頂けたらと思います・・。

それでは、どうぞ。

 

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・・・それは、三回忌の会場に流れる美奈子.さんの「アメージング・グレイス」の映像で始りました・・。
今も美奈子.さんの遺志、リブ・フォー・ライフの活動が続けられている・・。
ナレーションと共に、一つのボイスレターによって、
最後まで生きつづけた美奈子さんの白血病との闘いが紹介されます・・。

画面が変わり、新宿でのラストコンサート
「アベ・マリア クリスマス・コンサート」の映像が映ります・・。
初めて見る映像です・・。
歌うのは「ジュピター」・・。
美奈子さんの、とても穏やかに歌う姿に胸が熱くなります・・。

その時、コンサートの写真を撮っていた、
写真家・原田さんの撮ったカットが750カットに上る事が紹介されます・・。
この事は、後にも先にもこのコンサートだけであった事だそうです・・。
その後、美奈子.さんの伝記本「天・響・歌」にも掲載されていた、
「ステージに祈りを捧げる美奈子.さん」のカットが紹介されます・・。
美奈子.さんが歌の神様に祈りをこめる姿を見て、
歌に対する美奈子.さんの真摯な態度がとても強く伝わって来ました・・。

しかし、そのコンサート後、緊急入院する美奈子.さん・・。
後に骨折で同じ病院に入院してきた岩谷時子先生との触れ合いが紹介されます・・。
美奈子.さんは、一人身の岩谷先生が、この怪我で
寝たきりになってしまわないかと心配し、ボイスレターを始めたそうです・・。
今迄も、このボイスレターの幾つかは紹介されていましたが、
今回は美奈子.さんの心情を細かく丁寧に描いてくれていました・・。

このボイスレターのやり取りの中で、最後に必ず美奈子.さんは先生に歌を贈っています・・。
しかし、この歌も時には体調が思わしくなく、抗癌剤の副作用で口内炎が悪化し、
口内が血だらけになっても、心をこめて歌った事・・。
そして、その歌は32曲にも上った事などが紹介されます・・。
その後、美奈子.さんのお母様、美枝子さんが登場し、
美奈子さんが、リハビリで廊下を歩いた時の事を語られています。
美奈子.さんは2ヶ月も病室に居たのにいきなり杖なしで歩き出した事の周りが驚いた事・・。
それは、美奈子.さんが人知れずベットの中でストレッチをしていた事の現れです・・。
それは美奈子.さんの強い「生きる」という力がそうさせたかもしれません・・。

このボイスレターは普段、BOSSや多くの方が美奈子.さんから
岩谷先生に渡されたいましたが、時には美奈子.さんの妹分でBOSSの娘さんの
相良梨奈さんが、その受け渡しをしていたそうです・・。
相良さんが、ボイスレコーダから流れる美奈子.さんの歌を聴きながら涙するシーンがあり、
相良さんが「心をこめて魂をこめて、先生に全力で歌を歌われていた・・」
という場面には涙が止まりませんでした・・。

もう一人、病院を訪れていた人物に岩崎宏美さんがいた事が紹介されました・・。
実は、このボイスレターの事は岩崎さんは知らなかったそうで、
ボイスレターを聴いた岩崎さんは非常に驚いていました・・。
そして、「今、自分がこうして歌える事に感謝する事を美奈子.は教えてくれた・・。」
と涙ぐみながら語りました・・。

その後、臍帯血移植に成功した美奈子.さんは同じ病気で闘っていた跡部浩一さんと知り合い、
LFLの切っ掛けとなる「白血病と闘う人々に勇気と希望を与えたい・・」
という趣旨の意見を出し合ったり、また、病棟に居た幼い命が病気と闘う姿に対して、心を痛めていた事などが語られます・・。
美奈子.さんは自分が元気になったら、この子供達の為に
「童謡のコンサート」を開きたいと強く思っていたそうです・・。
なんて強い意思とまた、人に対して心優しい人なんだろう・・。
改めて美奈子.さんの、温かい人柄を観た感じでした・・。

その後、岩谷先生と心が通じ合う様になった美奈子.さんは
あえて自分の苦しい闘病生活について先生にその事を語っています・・。
そして、先生の作詞の歌を歌いました・・。
先生はその事に対して
「いろいろな事も人生においてあるけど、私もあなたも
これから、頑張っていかなければならない宿命をもって
生まれて来たと思うの・・、だから力を合わせ合って
何とか幸せに、周囲も幸せになれるように頑張りましょうね・・。」
と美奈子.さんにボイスレターを送ったそうです・・。
この事に対して、互いに苦しみを伝え合う事で、
苦しみは分かち合える・・そう美奈子.さんは感じたそうです・・。
その証拠に翌日、体調がすぐれない美奈子さんは、
こう先生にボイスレターを送っています・・。
「今日も、体調がすぐれません・・。でも、お母さん(岩谷先生)・・
これも幸せになる為ですよね・・。
人の苦しみが分かる様になる為の痛みだと思って、頑張って耐えていきたいと思います・・。」
(人の苦しみを分かる為の痛み)・・
なんて謙虚で慈愛に満ちた心を持った人なんだろう・・。
改めて私は思いました・・。

次の日、美奈子.さんのボイスレターの最後にはあの歌が吹き込まれていました・・。
「ジュピター」です・・。
AAAのとも違う、力強さよりも、岩谷先生の詩を一言一言
確かめる様に心をこめて、歌う「ジュピター」・・。
本当に心に染み入る歌声でした・・。
美奈子.さんは、この歌を歌うことによって
心の赴くままに泣き、また勇気をもらうそうです・・。
岩谷先生も、美奈子.さんの歌を聴く度に、
美奈子.さんを愛娘の様に感じるそうです・・。
人との心の触れ合いがこんなに素晴らしい事・・
そう感じさせられるエピソードですね・・。

7月31日の美奈子.さんの仮退院の前に美奈子.さんと先生が対面したそうです・・。
美奈子.さんは感激して、心をこめたボイスレターを先生に送りました。
しかし、その反面、美奈子.さんは自分が退院する事により、
先生が一人ぼっちになる事をとても心配したそうです・・。
美奈子.さんは、あえて退院の喜びを押し隠し、
先生が作詞してくれた歌に対しての感謝の言葉を述べました・・。
それに対して、岩谷先生はその美奈子さんの優しさ、
真の強さを理解していて、尊敬の念を抱いていたそうです・・。

その退院から3ヶ後、11月6日・・本田美奈子.さんは帰らぬ人となりました・・。
岩谷先生はとても大きなショックを受けました・・。
BOSSが語ります・・。
「先生はショックで葬儀に出席出来ないけれど、ちゃんとここで美奈子を送っていた事・・
それは一番、先生の心を表しているのではないか・・。
彼女(美奈子.さん)にとって、コンサートが出来なかったラストコンサートは
あのボイスレコーダーに全て詰まっていると・・、僕は思っています・・。
心は伝わっていると思います・・。」
心のラストコンサート・・、きっと先生にそして、
この番組を観た者全てに伝わったと思います・・。

美奈子.さんの逝去後、お母様、美枝子さんが
精力的にファンとの交流に勤めている事が紹介されました・・。
この事はファンにとって本当に頭が下がる思いです・・。
(この交流、何時までも続いてほしいです・・。)

8月10日・・美奈子.さんはお母様、美枝子さんと共に岩谷先生に歌を送りました・・。
しかし、この岩谷先生に送った歌が美奈子.さんの最後のボイスレターとなってしまいました・・。
最後のボイスレターの歌「夜明けの唄」・・。
その歌と共に、走馬灯の様に美奈子.さんの生い立ちの写真が画面に映し出されます・・。
どれも、「笑顔」でした・・。
最後に一緒に笑顔で映る美枝子さん、そして岩谷先生・・。
その歌を聴いている美枝子さんが涙しています・・。
私も涙が止まりませんでした・・。


美奈子さんが病室で歌う「アメ・グレ」が流れ、番組は終了します・・。

今回、今迄の特番と違い、美奈子.さんと岩谷先生との心の交流が
とても分かり易く描かれていました。
ある意味、脚色無しで美奈子.さんの心情が分かる秀作でした・・。
そして、改めて美奈子.さんの人に対する心の優しさが
見れて、感慨深く感じました・・。
この心の交流の素晴らしさ、人に対する優しさを教えてくれた
NHKさんに本当に感謝したいと思います・・。
あと、美枝子ママ・・辛いのに美奈子.さんの事、
語ってくれて、本当に有難うございました。
美奈子.さんの「心の笑顔」また一つ増えました・・。
心から感謝致します・・。

長くなってしまいました・・。
これで、拙い私のレポを終了致します・・。
最後まで読んで頂き有難うございました。