その男、名を権蔵という。彼は、かつてのマキの夫である。引きこもりを人生最高の幸福とする彼は、仕事をする事もなく、1日の大半を3年前にに購入したこの住宅で1人暮らしをしている。彼はテレビのスイッチをつける習慣がなく、パソコンとスマホのネットで社会ニュースなどをキャッチし、それ以外の時間を大好きな鉄道模型遊びで過ごしている。実は3年前までは、近所の小さなゼリー工場で、流れ作業のパート労働をして生計を立てていたのだったが、何気に買った10枚のバラの宝くじがなんと1等で2つ当選し、見事一夜にして数億円の資産家に成り上がった。天涯孤独の彼はこの事を誰にも話をする事もなく、3階建てのこの家を即購入し、納戸の一部を当選金の置き場にしているのだ。
今年で46才になる彼がマキとひょんな事で出会ったのは、今から1年と半年前のことだった。マキは、日々働かず家でウスウスして過ごす彼を当初不審に思ったが、彼の無邪気で純粋な目の輝きに惚れ、約半年の曖昧な交際を経て、行きずり的な妥協以外に何もないという理由で所帯を持った。結婚して気を許した彼は、頑丈に鍵がかけられた納戸をマキに公開し、これで生活していることを打ち明けた。マキの彼への不審は解け、むしろ、資産家と結婚できたことをマキは当時大いに喜んだ。しかし、幸せな日々は長く続かなかった。元来、人と接することを好まなかった彼は、外向的なマキとは性格や価値観が合う筈もなく、次第に、些細な言葉のやりとりが深刻な口論にまで発展することが増えていき、彼は何度も家を飛び出すようになっていった。そういう時は、彼は2~3日ほど町田のカプセルホテルに泊まり込み、家を空かすのだった。そして、いざこざが絶えなかった二人は、ついに、1年というあまりにも短い結婚生活にピリオドを打ち、マキへの慰謝料2億円を支払って、今から3週間前に協議離婚が成立したばかりだった。ちなみに、今マキが暮らしているマンションと生活費は慰謝料からのものである。
彼は、今夜珍しく、一人で焼き鳥居酒屋『いっぱ』へ呑みに出て来た。勿論、外へ出たのは呑みに行くためではなく、町田にある鉄道模型専門店に赴いて、入手困難な小田急電鉄のレアモデルを購入するためだった。その帰りに、思い立っていっぱの暖簾をくぐったのだった。店内は木曜日の夜とあって比較的混雑していたが、決して人一人座れない状態ではなかった。彼は1つだけ空いていたカウンターの席に座って、ボンジリとカシラを3本ずつ注文し、生ビール中ジョッキーをグッとあおった。
9時を過ぎた頃、計16本の焼き鳥と生ビールを3杯飲んだところで帰ろうと立ち上がりかけた時だった。見覚えのある一人の女性が彼の隣に腰を下ろした。マキだった。びっくりした様子で彼が、
「…マキ…。」
と優しく声をかけると、
「あっ…! ゴメン。…久しぶり。」
と、バツ悪そうに小さく会釈した。しばらく二人は、取り留めのない話題で呑んでいたが、血中アルコール濃度が高くなっていくにつれ、夫婦だった頃の仲がいい時の状態になった。二人は、子供に恵まれなかった割に、学校教育のあり方やいじめ問題などで激しく盛り上がり、最後には居酒屋の店員まで巻き込んで支離滅裂な悪ふざけをする始末となり、その後彼もマキも千鳥足で別れた。

その日の夜、彼は酔った勢いと昔のクセで、何故か町田のカプセルホテルに泊まり込んだ。資産家の彼にしてみればリッチなシティホテルに泊まれるのに、彼は、この蜂の巣のような1人の人間が寝られるだけの筒状の空間が大好きだった。彼は、簡単な手続きを済ませ、5階の展望風呂にさっと入って出ると、カプセルの寝床に潜り込んで、
「マキ…。」
と、一言だけ呟いて寝てしまった。
彼が吐き気に耐えられなくなって起き出したのは、朝の8時半をまわった頃だった。悪酔いした彼は、トイレで、昨夜食べたものを全て吐き出してしまうほど気持ち悪かった。トイレから戻ると、少し落ち着いた様子で、彼は再びカプセルの中へ入っていった。チェックアウトの10時までは小1時間ほどあった。他の客は3分の2程度チェックアウトしたようだった。彼は毛布に身を包むと、寝床の上部に備え付けられているタブレット大のテレビをオンにした。チャンネルを変えると、どの局も台風接近のニュースばかり放映していた。彼は2局のアダルトチャンネルで手を止めた。内容はありきたりの展開だったが、彼はやや興奮気味に、食い入るように画面を見つめた。イヤホンからは、か細くなまめかしい女の声が、
「アッ…アッ…。」
と漏れ出ていた。
ここまでご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。この後の展開は、過激な性描写が含まれるので投稿を自粛したいと思います。なお、この物語はフィクションで、ここに登場する人物、場所その他の名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ない事を申し添えます。