発達障害と向き合う友人 | Hiroのブログ

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昨日は、友人が自分の特性と向き合いどう生きてきたか?そんなお話をしていただく会を設けました。子どもの頃は自分に注意を引いてもらいたいために、いわゆる先生方からはいつも怒られてばかりの子どもさんであったようでした。

彼は自分がそういう発達障害という特性を持っているということもわからず、パスポートを何度もなくしとても大変な思いをしたり、けがをすることも多々あり、特に数字に対しての理解が今も難しいとおっしゃっていました。

自分の病気の診断書も持って来てくだて、こられた方にお見せしてくださっていましたが、その病院や施設に接して初めて自分がそういう特性を持っているということを理解したそうです。自分の特性に対しての対処法を学ぶことができ少しづつ社会というか、周りの人たちとの付き合い方を学んだそうです。特に話が長いと何をしゃべられたのか分からなくなることが多いため、そういう時に相手に「こういう特性があって私が話を理解するのが難しくなるのですみません。」と言えるようにもなったそうです。

お話された以上に小さな失敗の連続を繰り返し、とても痛い思いを山ほど繰り返してこられ、また、現実的に奨学金の返済がきなくなったり、話を聞いていてとてもつらい経験をされてきたことはある意味想像を絶するようなつらさがあったと理解しました。

しかし、彼の素晴らしいところは“正直”“素直”という心が土台にあったことかと私は思いました。あるきっかけは、友達にブッタの瞑想を学べる場所に行ったとき、自分の内面を見続け自分と向き合ったり、あと、自分の意識をコントロールすることでとても楽になったとおっしゃっていました。また、自分の容量を大きく超えることが度々あった経験から、用量を超える手前で休養を入れるという工夫も今はできるとおっしゃっていました。

私は彼と昨年の12月に初めて出会ったのですが、久しぶりに素晴らしい人と出会えたとめっちゃうれしく思い、かれとの付き合いが始まりましたが、本当にやさしさの塊のような方でもあり、また、色々気が回りすぎて大変だとも感じていたことはあったのですが、これだけの特性を持たれた人生を歩まれたということは昨日はじめて知ることができとてもいい時間を過ごすことができました。

私は先日ラジオで聞いたお話で、ある学校で、先生がいなくなったときにトイレに行きたいという子供がいたとき、ある子どもは、「先生の許可なしに勝手に言っちゃいけないよ!」という子供と「早くいってらっしゃいよ!」という子供がいたという話を思い出しました。

先生のいうことに素直に守ろうとする子供、自分の判断を大切にする子供。

彼は間違いなく自分の判断を大切にできるほうで、そして社会となかなか上手に付き合えない人生を歩んでこられましたが、私は、先生のことを素直に守ろうとする大半の子どもは、必ずどこかで自分と向き合わなければいけない時が来ると思うのですが、その時の代償はとても大きいのではとこちらの方が心配にもなりました。