ひろのつぶやき 差別発言 | Hiroのブログ

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山口の山の中から、Hiroのつぶやき。
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「外人さん、こんにちは!」

と深々と頭を下げる田舎のおばあちゃんの姿を見て、そのアメリカから来た友達が、「あんな差別発言をするなんて!?ひどい!!」と怒っていた。私は彼に、あのおばあちゃんが、あなたのことを馬鹿にしてあれだけ頭を下げる?おばあちゃんの気持ちに、あなたを馬鹿にした気持ちがいっぱい伝わってきましたか?といったことがありました。

 

先日も、子ども達が障害を持つ友人に、「なんで、そんな体しているの?」といったのを聞いた大人が「そんな失礼なことをいうものではありません!」と子供を叱っていました。子どもは、自分の普段接していないものや、人、違ったものに対してとても好奇心を示すのが大切な感性だと思います。もちろん、その方に失礼だという気持ちから叱ったのはわかるのですが、子どもが、自然にそういう会話が出ることは自然なことではないでしょうか。もっと、いろんな違った人や、違ったものを体験することが大切だと思いました。

 

私も、アメリカで住む前は、「黒人の人はとても怖い人!」という先入観でいっぱいでしたが、アメリカで黒人の友人ができたこと、また、とてもやさしく、素直な方が多い!子どもみたいに喧嘩したり、めちゃくちゃ喜びまくる黒人のおじさんの姿を今も思い出します。頭で知るのではなく、体験として知っていくことが、頭で理解する以上に大切なことです。そして、どんなひどい体験をしたとしても、私は根底では人を信じるという姿勢を持ち続けたいと思います。どんなひどい犯罪を起こした方も、必ずその背景があり、理由があるということ。みんな子どもの頃はどんな人種でも本当に天使のような存在。だから、そこを信じたい。

 

日本ではいつの間にか、「みんなおなじでみんないい!」とされている社会。これは、考えも感性もみんな個性があるのが当たり前という本来の人間の在り方からすればめちゃくちゃずれている考え。そして、そういうひずみから「世界で若者が最も自殺をする国」という結果がしっかり洗われているのだと思います。まだまだ、時代遅れの考えが浸透している日本で、少しでも違ったものに触れる機会が子ども達にあるということで、自分の考えや世界観が決まってくるようにも思います。