私が小学校一年生の時、担任だったのはおばあちゃん先生でした。


とっても痩せていて、腰が少し曲がっていて、とても怖い顔をしていて、とても新一年生の担任に相応しいとは、思えない風貌の先生でした。


それは見た目だけではありませんでした。


中身も鬼のように恐ろしい先生でした。


小学一年生を相手に脅しや怒りで物事を教え込むような教育でした。


今考えたら本当に信じられない事ですよね。


この時代だったら、完全に犯罪のレベルだと思います。


完全アウトです。


私はこの先生が、大嫌いでした。


ある日、事件が起きました。


クラスの中で、大の方を漏らしてしまった生徒が居たのです。


それも廊下に。


先生はなんと、放課後、私達クラス全員を集めて、みんなの前で犯人探しを始めたのです。


それも、全員の下着を下ろして、チェックするという、当時の私達子供心にもショッキングなやり方で!


当然みんな嫌がりました。


しかし、この女教師は、隠し通そうとするその生徒に怒り狂い、生徒全員の下着を下ろし、1人1人チェックして行ったのです。


そして、みんなの公然の場で、犯人は見つかりました。


あの時の彼の名も顔も私は今でも覚えています。


先生は犯人を吊し上げ、なぜ名乗り出なかったのかと、みんなの前で、怒鳴り散らしていました。


私はそんな彼の事より、なぜこの女教師は、ここまでして彼をさらし者にするのかと、怒りが収まりませんでした。


そして、私達の、子供の心をなんだと思っているのかと、本気で腹が立ちました。


その後も、顔をあまりよく洗っていなかった男子生徒が、顔に皮膚病の様なものが出来てしまい、その生徒を黒板の前に連れてきては、


「不潔にしていると、こういう風になるんだよ!みんなよく見ておきな!」と、彼をまた、さらし者にしたのです。


彼はどれ程傷ついたでしょう。


恥ずかしかったでしょう。


そんなやり方ってありますか?


私はこの先生がずっと大嫌いでした。


ひいきも凄いのです。


私の近所の友達が、お母さんが幼稚園の園長先生をしてました。


なので彼女の事だけはとても甘やかしているのです。


彼女がわがままで、授業中に教室を飛び出して行ったりしても、怒りもしないのです。


しかし、貧しい家庭の私などは目の敵にされていました。


答えを間違えれば、物差しで頭を叩かれ。


次第に、私は先生に反抗的になって行きました。


わずか小学一年生で、ありながら、私はなんの悪気もなく、友達に意地悪をする様になりました。


隣の子のハサミを取って泣かせたり。


鉛筆を取って投げたり。


そんな事をわざとしては、先生に怒られていました。


完全に先生へのストレスの現れでした。


ある日、私は近所の、幼稚園の園長先生の子供である同級生と、その友達のお金持ちの同級生が、私の家が貧乏である為に親同士が私のママの悪口を言ってバカにして居るとの話をその子達から聞かされます。


その事が悲しくて、悔しくて、小学一年生だった私は、お金持ちの同級生の家の立派なベランダに、出てきたおばあさんが掃除しているところに、自分が当時住んでいたアパートから、みかんの皮を投げる。と、いうとんでもない行為に及ぶのです。


小学一年生とはいえ、とてもドキドキしたし、とっても悪い事だとわかってした事でした。


きっと、明日にはまた、先生に怒られるのは覚悟でした。


だけど、どうしても、悔しくて、悲しかったのです。


小学一年生にも、復讐という心はあるのです。


翌日、学校から帰ると、私は先生ではなくママに怒られることになるのです。


「学校から電話があったわよ!」


「あんた、○○ちゃんちにみかんの皮を投げたんだって!」


「○○ちゃんちから学校に電話があったって!」


「ママあんたのせいで先生に怒られたわよ!」


私は本当にませた子供でした。


だけど、もう、反抗期だったのですかね?


ママにも腹が立ってしまったけれど。


本当の事は言いませんでした。


ママの悪口、言ってる奴らが悪いんだよ!


みんながママをバカにしているんだよ。


だから、やったんだよ!


あの女教師にみんな学校で、パンツ下ろされてるんだよ!


あの女教師は、ひいきばかりするんだよ!


私達を平気でいじめるんだよ!


小学一年生の私には何も言えませんでした。


弱い者に意地悪して、


みかんの皮を投げる事しか、


小学一年生の私には出来ませんでした。


それから、小学校を卒業するまで、私はこの女教師が、大嫌いでした。


卒業式に、あの女教師が、参列しているのを確認しては心の瞳で睨みつけていました。


もちろんあの女教師は、気づいても居ないこと。


大きくえぐられた、小さな私の気持ちなんて。


歪んだ私の心は小学一年生の時に閉じ込められたままその記憶とともに鍵をかけて今まで封印されていました。


その後の私は、ただ、素直にトラブルを起こさず目立つことも無く、ごくごく普通の生徒であったと思います。


特に誰の心にも記憶にも残ることの無い、普通の子。


家でも、自分の事は自分でやる。


誰にも頼らないで生きていくのが当たり前なんだと学んで、朝ごはんも自分で作ったし、洗濯物も自分でしたし、下着なんかも自分で買い物をする様な小学生でした。


生きていくためには強くなるんだって思っていたから、何とも思っていませんでした。


我が家ではそんな事が当たり前の毎日だったから。




チョコレートのきのこの山🍄みたいな木があったよ。