2018年4月1日。朝。私のスマホが鳴りました。
ホスピスからでした。
パパはホスピスへ運ばれてから数日間、眠ったきりのまま、息を引き取っていた所を、看護師さんに発見され、おそらく、その前の巡回の時には息があったと言うことで、亡くなったのは午前9時頃であろうと言われましたが、私達の立ち会いの元、医師が確認してからの時刻が死亡時刻とされるという事で、私がホスピスに着いた午前10時が死亡時刻となりました。
病室の窓の外は桜が満開でした。
4月3日。葬儀と火葬が終わり、
パパの大きな遺影と位牌と遺骨を持って、一人マンションの階段を3階まで上り、家の玄関の鍵を開けました。
待って居てくれたのはぴーちゃんだけです。
他に誰一人として居ない家に、広いリビングのフローリングの床に、父の遺影と位牌と遺骨を一気に置きました。
重かったし、苦しかったし、寂しかったし。
リビングには、ただ、大きな介護ベッドがポツンと残され、この部屋は、天井までの大きな窓で、景色が良くて、やけに青空がキレイで。
一人になってやっと、泣いて泣いて。
あの日の事は一生忘れない。
あの日の寂しさは一生忘れない。
自分がいかに孤独か嫌という程思い知ったよ。
こんなに寂しくても、誰もそばに居てくれる人は居ない。
人は結局一人なんだよね。
今はぴーちゃんも逝っちゃったよ。
桜が咲いて散るように、いつまでも命は続かない。
限りあるものなんだよね。
パパに会いたい。
弟に会いたい。
ぴーちゃんに会いたい。
ぴー太郎くんに会いたい。
みんな空の上。
えいたんが言ったんだ。
誰でもいつかは死ぬんだから、
いちいち悲しんでいてもしょうがないって。
えいたんに言われたら終わりだよね。
えいたんも所詮他人だから、
私の悲しみも苦しみもわかる訳無いものね。
そんな事に今頃気がつくなんてバカだよね。
そんな当たり前の事、ずっと前からわかっていたはずなのに。
やっぱり、大好きな弟に自殺された姉の気持ちは、愛する人に自殺された人にしか、分からないよね。
愛する家族が次々と死んでいく苦しさは、家族の面倒を見た人にしか分からないよね。
私が35歳の時にママが死んで43歳になってすぐに、弟が28歳で自殺してパパも死んで。
私はママに子供の頃から全然可愛がられなかったけど、たった35年しか暮らしてないんだね。
弟とはたった28年しか一緒に居られなかったんだね。
大好きなパパとは43年しか一緒に居られなかったんだね。
短すぎるよ。
私、43歳で一人ぼっちになったんだね。
ぴーちゃんとふたりぼっちか。
20代で膠原病だから、主治医に出産は諦めて下さいと言われて。
結婚も諦めた。
家族に愛情一番に注いだ。
次に仕事。
それは家族の為。
お金を稼ぐ為。
そしてみんな居なくなった。
私も早くお空に逝きたいよ。
だけど、くうちゃんとまめちゃんを置いては逝けないものね。
心の中は涙の嵐。
だけど、誰にもわかってはもらえない。
誰にもわかる訳が無い。
こうしてただ文字にして、心の嵐を沈めたいの。
苦しくて、苦しくて、苦しくて、
寂しくて、寂しくて、寂しくて、
ぴーちゃんに会いたいよ。
えいたんにはこんな気持ちさえ分からないから。