この前、たまたま探し物をしている時に、
私のクローゼットの中に閉まってある弟の遺品を見てしまった。
白いレースの袋の中に入れてクローゼットの奥にしまい込んであるのですが、
つい、開かずの扉をまた開いてしまったのです。
私は、またそのレースの袋を閉じている白いリボンを解き開けてしまったのです。
ついつい弟が使っていた眼鏡ケースを取り出しては、付けてみる。
弟の見た景色が見えてくるような気がする。
すぐに外す。
弟の指紋とか弟の残像の様な物が消えてしまうような気がするから、
決して長くは付けない。
弟の気配が消えないように、付けたら数秒の内に外すと決めているのです。
そして、すぐにケースに戻します。
そこには眼鏡拭きも当然入っています。
弟が乱雑に入れたまま、偏って入っているのです。
それも決して触れません。
弟の生きていた証だから。
もちろん当たり前てますがこれで弟のメガネを拭くことなんて一生有り得ません。
他には弟が何冊も買っていたスケジュール帳。
3冊もあって、みんな弟の未来を予測するかの様に、2018年1月5日までという変な終わり方のスケジュール帳。
2016年10月スタートの物になっていました。
弟も全くの飽きっぽさでどれも2ヶ月目まで書いてあるのが最高記録でした。
しかし、そのスケジュール帳のページが表す通り、弟の未来は2018年1月5日にはもう終わっていました。
2017年12月26日で弟の人生は終わったのです。
この手帳を買った時には思いもしなかったでしょう。
この手帳を最後の日まで生きることができないとは。
弟のメモはまるで暗号の様な文字で書かれていて、こんなに字が下手だったか疑問でなりません。
いつからこんな風に文字を書けなくなったのだろうと不思議に感じました。
自分では読めて居たのだろうかと?不思議です。
かろうじて難解な文字を読み解くと、私は暗い穴に落とされるのです。
ずっと今まで忘れていた事。
そういえば弟がこんな悩みを持っていたこと。
それは姉妹の中でも私にだけ話してくれた事。
亡くなった今、えいたんにも話していない事。
私は弟の為にこの言は私一人の胸に納めて死にます。
もう誰も知らなくていい事だから。
そして、その悩みについて私は弟に今、それはすべきでは無いと反対した事。
そして弟が泣いた事。
この事について、誤解のないように言っておきますが、弟は同性愛者でしたが、性転換手術等で悩んではいませんでしたのでその点の誤解は無いようよろしくお願いします。
そういう事とは別の件で弟は私に悩みを打ちあけ私はこの時弟の提案に反対をしたのです。
弟は泣いて悲しみました。
しかし、弟の言っていることは間違っていました。
姉として私は正しい正論を言った事に間違いは無かったのですが、今思えば、もっともっと寄り添うべきと反省と後悔しか無いです。
そうなんです。
結局私は今まで忘れていた事を、
こうして弟の遺品を見返しては地雷を踏んで
一人どうしようもない事でどうにもならない後悔をしてどうにもならない苦しみを背負ってまた辛くなるだけなんです。
だったら私はいっそうのこと、この弟の遺品をもう少し整理して、この様な地雷を踏まないように、いい思い出だけを残して、この様な思い出しても辛くなるだけの物は処分するべきではないかと思ったのです。
そうすればもう悲しい事は忘れられていく。
こんな思い出してもどうにもならない事を、思い出して私が一人苦しんで何になるのか。
そんな事を思ったりしたのです。
そしてまた新たに知った事もありました。
弟が亡くなる数日前。12月23日に弟がどこかの会社の面接を受ける予定がスケジュール帳に記してあった事を見ました。
あの私達が留守の間に弟は新しい仕事を始めようと頑張っていたの?
面接は実際に受けたのかな?
弟はそれに受からなかったのかな?
私の知らない事がまた一つ出て来ました。
それから3日後この世から弟は居なくなってしまった。
私は永遠に亡き弟の亡霊を追いかけて生きて行くことしか出来ないと思います。
私が悪いと思わないと私は生きていけないから。
こうして苦しまないと私は楽になれない。
きっと罰を受けないと私はわらえないから。
こうして笑っているうちは私は幸せでいられるのです。
苦しんで居られる罰だから。
私はもう壊れていますから。