サッカー日本VSオーストラリア戦は、日本人のクラスメートの誘いで
特別に昼間から開けてくれるパブで観戦しました。
日本の敗戦を受けて、日本のメデイアの反応や日本全体の雰囲気は
情報がまったく入ってこないので、わかりませんが、かなりの落胆では
ないでしょうか。
もちろん、個人的にもこのオーストラリア戦での敗戦は、非常に残念ではありますが
結果として、以前odacomさんがコメントしていたような、
「仲良しクラブ的雰囲気による危機感の欠如」ということが
そのまま、結果として出てしまったのでないか、そんな印象を受けました。
それを突き詰めて考えると、結局日本の社会の思考構造に起因するのでは
ないかと感じました。
たとえば、大学に入ることがゴールではなくて、就職したことがゴールでは
なくて、大学に入ってから、就職してからが、もっとも大変で頑張らなければ
ならないスタートラインであるということと同様に、
W杯に出場が決まったことで、これからが本当に大変だということは、
代表選手はもちろん、僕も含めた国民全体もアタマではわかっているけど、
遺伝子的にその危機感が欠如してしまうのではないでしょうか。
ひとつの視座として、教育論的なパースペクティブから、
「東大に入るのは超難しい。でも卒業は簡単」というのをひっくり返して
「東大に入学するより東大を卒業する方が超超難しい。」
という構図にする。
それによって、入学してからが本当の勝負という意識を
醸造しないと、世界との差はどんどん拡がるばかりでは
ないか、と感じたわけです。
いわずもがな、それは、自分自身にもあてはまるわけで、
就職してから、退職してから、そしてイタリアに来てから、
が本当の勝負であると再認識したわけであります。
日本の代表選手は、死ぬ気でがんばったはずだし、
結果は、非常に残念ではありますが、
突き詰めて考えると、僕にとっては、結果うんぬんよりも
この敗戦をどう相対化するか、これが最も重要になって
きます。
それを、ここイタリアで考えることができることは、
非常に有意義であると思います。
それによって、今後のイタリア生活、もっと言えは
今後の人生も変わってくるではないかと思います。
ぐだぐだ書きましたが、
明日以降、もっともっとアグレッシブに攻めていこう
と思っているわけです。
ひとつの視座として、教育論的なp