どうも ぴーとりです。今回は心理編ということで

2023/04/05日にあった心境の変化について

話していきたいと思います。

 

詳しいことは省きますがわたしは今現在、

専門学校を卒業し、就職できずに実家に戻り、

怠惰な生活を送っております。

 

今回話していくのは

自分を抑えることのつらさについてです。

 

~余談~

 

私は10年以上自分自身に「嘘」をついて

生活を送ってきました。

というのも、私は性別の悩み、を抱えていました。

それとは別に「負の感情が」強く、

「親に従って生きていました」。

自分自身を偽り、否定し、生きてきました。

もしかするとこのブログを見ている方にも

似たような方がいるのではないでしょうか。

ブログを見て勇気を出して頂けると幸いです。

 

幼少期、私は、父親に虐待を受けていました。

時が経ち、

今現在ではそのようなことはありませんが

 

暴力、家の外に放り出してカギを閉める、

何か意見を言うと

「お前は黙って俺の言うことを聞け!」

「何様だと思っている!」と

怒鳴りつけてくるような父親でした。

後に聞いた話、育った環境がそうで

子育てがわからなかったそうで 

悪意があったわけではありません。

 

母親も母親で 少しばかり過保護で

少しでも考えの違う意見を言うと

「~の考えはおかしい」

「ふつうは~」「あんたできないでしょ」

「あの子は~」

「そんな恰好したら近所の人が~」

といった「否定的」、「世間的」なことを

気にする親で

母親は今現在もあまり変わっておりません。

今でいういわゆる「毒親」に該当する

と感じております。

 

同じく後に聞いてみると

そのような環境で育ったらしく、

子育ては何が正解か?という答えはないので

私自身今さら責めるつもりもありません。

 

問題は その環境で育った子供の私自身で

幼稚園、小学校、中学校、高校、

専門学校、そして就職、と

上手くいく予定でした。

ですが上手くいきませんでした。

(もちろん人生上手くいかないものですが)

 

 

~私が生まれてから幼稚園に入るまで~

 

幼少期の記憶があまりないので

主に聞いた話になります。

 

私は「男」として生まれました。

それも長男として。 

当然親は「男」として育てます。

私は ままごとで遊んだり、

アイロンビーズを好んだり、

ピンクが好きだったり、

よく人形を持っていたりと

「女の子」が好む遊びをすることが

多かったようです。

ベイブレードやトミカなど「男の子」が

好むものも欲しました。ですが、

すぐに飽きて遊ばなくなりました。

強く記憶に残っているのも

「女の子」の遊びをしている自分です。

そのころから親は違和感を感じていたそうです。

 

 

~幼稚園~

 

自我を持ち始めたころです。

女の子とごっこ遊びをして女の子役を

やらされていた記憶があります。

一応男の子とも流行の紙相撲などで

遊んでいたようです。

気難しい子で一人で工作を

行うこともあったようです。

 

このころは自分自身で

違和感を感じてはいませんでしたが

すでに前述の「虐待」が始まっていました。

 

 

~小学校~

 

親の都合で転勤になり、

小学校は全く別の場所、

友達がゼロの状態からスタートになりました。

友だちが少ないながらも小学校低学年までは

上手くやっていました。

このころから「自分は男なのか?」

と疑問を持っていました。

中・高学年になるにつれて、

私自身「鼻くそをほじる」ということをやっており

いじめにあってしまいました。

その際に近くに仲の良い女子

がいたことを覚えています。

 

この時点で私自身

 親からの「虐待」「否定」があり

もうすでに心を閉ざしてしまっていたと思います。

いじめられているにも関わらず

学校のことを話さず、

前述の「性別の悩み」も話さず

夏休みの工作も

「~を作れば?」 そうだね。 

と自我がなくなり親の言いなりの

「いい子」を

演じるようになってしまっていました。

 

 

~中学~

 

中学校に入学し、

少し環境が変わった中、

相変わらずいじめにあってしまい、

学校に行きたくもないにも関わらず

母親の「行きなさい!」の一言で 

嫌なのに学校に通い続ける。

部活動も本当は入りたくもないのに

「就職に響くから入りなさい!」の一言で入り

やめたい!って思って言い出しても

「やめるな!」の一言で続ける。

完全に「自分が死んでいました。」

それでも得たもの。部活動に入ってよかったと

感じている部分もあり、

すべてが一概に悪かったと考えてはおりません。

 

私が人のせいにするようになったのも

このころからです。

「~が言ったからこうした。」

わがままに聞こえますが

自分を殺していての言葉だったので

恐らく本心だったのでしょう。

 

こうした言動が重なり、

親との関係がさらに悪化し、

自分の心もさらに閉ざしてしまいました。

本当に学校がつらくなった時も言い出せず、

親に限界になって助けを求めたら

「隠さず言いなさい。」「なんで黙ってたの」

「もっと頼りなさい。」

という言葉が返ってきました。

親としての気持ちはわかります。

ですが 

私自身もうすでに

心を閉ざしてしまっていたので

言えませんでした。

(正しくいうなら)いえるわけがない。

この時は学校の悩みの

一部は話せましたが

悩みの全部は話せませんでした。

 

そんなこんなで

学校生活に転機が訪れました。

部活動の仲の良い女子の先輩が

私に「とりっぴー」と

あだ名をつけて可愛がってくれました。

*ブログの名前「ぴーとり」の由来です。*

色々な意味で

このあだ名を今でも大切にしています。

 

そのあと徐々にではありますが

いじめが嘘のようになくなり、

学校生活が楽しかったです。

部活動のみんなからは

私自身「女」として扱われていました。

クラスメイトからも同じように扱われ、

正直嬉しかったです。

あだ名をつけてくれた

女子の先輩に恋をしました。

同時に男子にも恋をしました。

隠れて女装?もしました。

 

今考えれば

何もおかしくありませんが 

育った環境が環境だったので

「女」として扱われている自分が

すごくうれしいはずなのに「男」だ!と

否定しつづけ、

心にもう一つのふたをしてしまいました。

自分自身が男として違和感を感じているにも関わらず」

ここから現在まで

「完全に素を殺して生活することになります。」

2重のふた「素を殺す+自我を殺す」

 

 

~高校~

 

入学して、地元の生徒が

1か所に集まる高校だったので

嫌いだった・好きだった生徒も戻ってきて

実質小・中学校の延長線のような学校でした。

 

過去にいじめがあった影響か

高校では

私は必死に「男」として

ふるまおうとし

家では母親は「誰と遊んだの?」

「どこへ行っていたの?」と聞いてきて

適当にはぐらかすも

地元が非常に狭いので

すぐに特定されるといった状況で 

プライバシーもクソもなく、

非常にストレスでした。

このころから反抗期もあり、反発心があり、

親は私自身にとっていい影響がないので

「一人暮らしをし離れたい」と強く願うようになりました。

 

「お金が欲しい。」→

「バイトがしたい。でも不安で動けない」

すでに完全に自我が壊れていました。

 

高校卒業間際に

「LGBT」の思想が広まってきて

友人やクラスメイトに「LGBT」なのでは?

と言われました。

当時「馬鹿にされているんだろう」

「もし認めたらどうなるんだ?」。

と上記と同じように心が疑心暗鬼に

なるほど弱くなっていました。

 

そうこうしているうちに

進路決定をしなければならない時が来ました。

すでに「自分を殺していたので」

とりあえず1人暮らしがしたい。

とは思っていたので

進学と出したものの

何になりたいかも

何もわからなくなってしまっていました。

それでも機械が得意なのと好きだったので

考えを絞りだし

両親には「ゲームクリエイター」になりたいと

言いました。

結果は「お前には向いていない」

「ダメだ」で終わりました。

心が大きく傷つき

第2?もしかすると第一候補だったはずの

「イラストレーターになりたい」も言い出せず

 

ぼんやりとパソコンが学べる場所。と

自分が行きたいところと

少し違うところを言い。

無事?意見が通り

ITの専門学校に行くことができました。

 

念願の一人暮らしができるようになりました。

正直「何かを学べる」ことよりも

「親から離れられる」、「自由にできる」という

嬉しさが勝っていました。

 

自動車学校も地元で行くか、

専門学校に行ってとるかの選択を迫られたときに

私自身は「完全に意思がなくなっていた」ので決められず。

一旦は「地元でとると言い」書類を受け取ったものの

「不安や今提出してどう思われる。」

などどうでもよいことを気にしてしまい

学校に提出できなかったため

親の言いなりになり、

専門学校に行きながらとることにしました。

 

 

いざ1人暮らしの準備段階に入りましたが

「一人で借りて住みたい」「オーブンが欲しい」

「自転車が欲しい」。

言いたいことは言いました。

親の考えやお金のことはあるのは理解していますが

全部却下されました。

「不安だから寮生活な」

「ごはん出るならオーブンいらん」

「自転車盗難されるし都会は人多いし

あんた運転見てると不安だから」

親から見たらまっとうな意見

だったかもしれません。

私自身は強く否定されたと思い 

つらくなり、また心を閉ざしました。

 

 

~専門学校~

 

男ばっかりの学校でした

自分の素を出さずに「男」として

やっていきました。

友達も頑張って作りました。

今では

「なんでも相談できるかけがえのない親友です。」

を作り楽しく過ごせました。

 

しかし、言ってしまえば

私自身興味関心の薄い学校。

卒業はできましたが

成績は良くなく、

ついていくのがやっとで

あまり身に入りませんでした。

それでも学校で得たものはありました。

「コミュニケーション

プレゼンのスキルを

身に着けたい・磨きたい。」

これは本心です。

 

軽くではあるものの授業で

念願のイラスト制作・ゲーム制作

も学べました。

部屋限定ではあるものの

女装?もしました。

楽しかったです。

ですが楽しかったのもつかの間

生活費以外お金がないので

ストレスフル

アルバイトをしたくても

自動車学校が邪魔をして

できませんでした。

最初は

「自動車学校なんてさっさと終わらせてやる」と

意気込んでいましたが

上手くいかなく教官にボロクソに言われ、

落ちこんでいたところ。

励ましてもらいたく親に連絡したら

「あんた鈍いから」「早く乗りに行きなさい」。

と言われ行く気がなくなり

すっぽかすようになってしまいました。

このころには自分に対する自信も

完全になくなってしまいました。

 

そして結果的には

免許はとれたものの

教習期限が迫ってくる中 

頭では「行かなきゃ!」「何とかなる!」

「やりゃあできる!」とわかっていて

自分に言い聞かせても「体が拒絶して動かない」

意識と体が相反するようになってしまいました。

わかっていても動けない。本当につらかったです。

そうこうするうちに親から「早くいけ!」の

電話がかかってきました。

私は行きたくても体が言うことをきかないので

行ってもいないのに「今日は行った!」などと

見え見えの嘘をつかないとどうにもならないほど

追い詰められていました。

 

「意思を殺し 素を殺し 嘘をつき 

罪悪感・焦燥感にかられ 自信がなくなり」 

 

最終的に本当にやりたいことすらも体が拒絶をし

非常につらかったです。無気力でした。

 

そんな中就職活動が始まりましたが

自分自身を抑さえつけていた人が

就職できるはずもありません。

結果的に就職しないで地元に戻ってきました。

 

周りの友だちは自己分析を済ませ、

自身の強み・弱みをはっきりし、

何になりたいか決めて就職をしている中

 

私自身はアイデンティティという

概念すべてを断ち切っていたため

「強み・弱み何もわからない」

「人と比べたら。」「何につきたいんだろう」。

何にもわからなく、

自信も完全に欠如してしまっていたので

就職活動をなにもできませんでした。

 

先生から

面接練習してあげる。履歴書添削してあげる。

 何になりたいの? 自身もちな!

色々言われました。

 

あらゆることが不安で聞くこと、

助けを求めることすらできなくなり

自信もちな!やればできる!の一言も

 先生に言われても 友人に言われても

最終的に自分自身が声に出しても 

心に届かなくなっていました。

 

他人は「話さないからわからない」

「じぶんはわかっていても話せない」

「助けを求めたくても求められない」

気が付けば だれも果ては自分自身でも

本当にどうにもできなくなってしまっていました

本当につらかったです。

 

この期間中の授業で

専門学校で改めて

「LGBT」+「Q」を学ぶ機会があり

調べていく上で上記で語った

過去の自分を考えると

私自身がそうなのだと

「疑いから確信に変わりました。」

 

その時から私自身を

身体→男

心→女

振る舞い→女

すきになる→両方 だと確信し

自分自身を本格的に「女」と定義し

少しずつ素を出すことにしました。

なので今の認識は「女」です。

勇気を振り絞って「親友」に打ち明けました。

結果理解してくれました。

そこで失っていた

「自分自身を一部取り戻すことができました。」

気分も楽になりました。

今の自分は「親友あってこそです。」

 

そうして 卒業をし、

現在無職となり地元に帰ってきた後

このままではだめだ!と強く思い、

まだ全員ではありませんが

勇気を出して友人・親にここに

記述したことを話しました

ありのまま思いを告白し、

何重にも蓋をし、

凍り付いた心を開放しました。

今はかなり気分が楽になりました。

履歴書など嫌なことに向き合っても

かろうじて体は動きます。 

不安は不安・自信がない。

まだ完全に回復はしていませんが

今はかろうじてではあるものの

ありのまま受け入れて

自分に向き合うことができます。

 

この調子で頑張りたいと思います。

 

~最後に~

 

ここまでひどくないと思いますが

似たような経験をお持ちの方

私のこのブログを見てくださった方に

言いたいことがあります。

 

もちろん仕事などでどうしても

それを我慢しないといけないこともあります。

 

ですが決して「自分を否定したり」 

「意見を口に出さない」「言いなりになる」

はしないでください。 

「特に自分自身の否定

をしてしまうとどうにもならなくなります。

 

周りのひとが気になる。怒られるかも。

 (大体は思い込みです。)

実際は周りの人は思っている程

気にしていません。怒りません。

勇気を出して

 本音・本心を告白してみましょう。

親・友人・彼氏彼女・誰でもいいです。

正直に話せる人に話しましょう

そのあとの人生がいい方向に

大きく変わるはずです。

もし本当に怒られたとしても。 

いえること自体が大事です。

助けを求められるのが大事です。

辛くなったら勇気をもって

本音を告白しましょう。

 

また次回のブログでお会いしましょう。