拉致被害者と共に歩んだが…(時事通信フォト)

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拉致被害者と共に歩んだが…(時事通信フォト)

 

 

「拉致の安倍」として政治家の階段を上った安倍晋三・首相にとって、横田滋さんは拉致被害者の奪還を求めてともに北朝鮮と対峙した“戦友”だった。

 

 その滋さんが6月5日に87歳で亡くなると、首相は記者会見を開いてその死を悼んだ。

「滋さんが早紀江さんと共に、その手でめぐみさんを抱きしめることができる日が来るようにという思いで今日まで全力を尽くしてまいりましたが、そのことを総理大臣としても、未だに実現できなかったこと、断腸の思いであります」

 

 それに対して「(日朝交渉は)結果的に何も進まなかった」との批判があがると、滋さんの息子たちが会見で「安倍首相は動いてくださっている。何もやっていない方が政権批判するのは卑怯だ」と述べた。

 

 本誌・週刊ポストがしたいのは批判ではない。安倍首相が8年間の長期政権の中で拉致問題にどう取り組み、何を発言してきたかの検証である。

 

◆「全面解決に向けた第一歩」

 

 安倍首相は2012年に政権に返り咲くとすぐに横田夫妻ら家族会メンバーを官邸に招き、こう約束した。

 

「5人帰還の時、帰ってこられなかった被害者の家族の皆さんは涙を流していた。それを見て全員取り戻すことが私の使命と決意した。しかし、10年経ってもそれは達成されておらず申し訳ない。再び総理を拝命し、必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい」(同年12月28日)

 

 そして翌2013年1月の所信表明演説で、「何よりも、拉致問題の解決です。すべての拉致被害者のご家族がご自身の手で肉親を抱きしめる日が訪れるまで私の使命は終わりません」と宣言した。

 

 2014年5月の日朝ストックホルム合意で北朝鮮が「特別調査委員会」を設置し、拉致被害者ら“日本人行方不明者”の調査を行なうことを決めると、首相は経済制裁の一部を解除し、「全面解決に向けた第一歩になると期待している」と期待をもたせた。

 

 しかし、調査は実施されないまま合意は立ち消えになる。首相は再び、「必要なのは対話ではない。圧力だ」(2017年9月20日)と姿勢を転換し、北がミサイル実験を繰り返して膠着状態に陥った。

 

 次に動いたのは2019年だ。トランプ大統領が2度の米朝首脳会談を開くと、安倍首相は北との“橋渡し”を依頼。

「私が金正恩委員長と条件をつけずに話し合わなければならない。あらゆるチャンスを逃さない決意でこの問題の解決に当たる」(同年5月6日)

 

 そのたびに首相は横田夫妻ら家族会を官邸に招いて「拉致の安倍」をアピールしてきた。

 

◆「なかなか難しい」

 

 元家族会副代表の蓮池透氏が語る。

「安倍さんはあらゆるチャンスを見逃さずに拉致被害者の奪還に向けた行動をとってきたのか。実際は『対話より圧力』という強硬姿勢でチャンスを見過ごしてきたといえる。私が知る限りでも、北との交渉チャンネルはいくつもありましたが、安倍総理は二元外交だからだめだと却下してきた。

 

 しかし、米朝首脳会談で対話路線に転換しました。それで家族会をトランプに会わせたのです。横田早紀江さんはブッシュ、オバマ、トランプと3人の大統領に会っているんですよ。家族会は安倍総理の政治の道具に随分使われている」

 

 第一次安倍政権時代に初めて置かれた拉致担当大臣はこれまで18人、第二次安倍政権になってからも現在の菅官房長官(兼務)で4人目だ。

「官房長官としてあれだけ忙しい菅さんに担当させるなんて、拉致問題だけに取り組む余裕はないですよね。この人事を見ても総理が本気でないことがうかがえる」(蓮池氏)

 

 コロナ感染さなかの今年3月16日、安倍首相は国会で拉致問題の解決について弱音をのぞかせた。

「帰国を果たした被害者以外の方々は死亡していると、北朝鮮は金正日総書記のときに述べている。この判断は違うと北朝鮮側が認めなければならない。そういう意味ではなかなか難しいハードルではある」

 

 拉致交渉再開の前提となる18年前の「他の被害者は死亡」説を変えることもまだできていない。

「安倍さんは総理に返り咲いてから、われわれ拉致議連の会合に一度も出てくれたことがない」

 

 拉致議連幹部の嘆きが、「拉致の安倍」の行き詰まりを物語っている。

※週刊ポスト2020年6月26日号