優空くんは動物や昆虫の図鑑を眺めるのが好きな優しい子だったという

 

「今もよく眠れなくて睡眠時間は1日2時間ぐらいです。眠れないからお酒を飲んで横になるんですが、写真や動画を見ていると泣けてしまって…悔し涙ですね。何かできることはないんか、子供に無念があるとしたら晴らしてあげられることはないんかって…」

 岡林宏樹さん(46才)は、肩を震わせ、涙を流しながら必死に声を絞り出した。夏休み終盤の8月23日、高知県高知市の下田川で小学2年生の男の子が水死体で見つかった。岡林さんの長男・優空(ひなた)くん(享年7)だ。

 

 優空くんは22日の午後、遊びに行ったまま帰って来ず、夜7時半、岡林さんが警察に通報。捜索が開始されたが、翌日の夕方、「無事でいてくれ」という願いもむなしく、川の中で遺体となって発見されたのだった。

 

「警察から事情を聞いて“なんで? なんで?”という言葉しか思いつかなかった。通夜、告別式の会場ではなんとか耐えましたが、終わった瞬間、自分でも信じられないほど涙があふれてきました。妻は、優空のことをよく叱っていたので“もっと優しくしてあげればよかった”とずっと泣いていて…でも、どう考えても理解できないんです。考えれば考えるほど、なんで溺れたの? やっぱりおかしい…」(岡林さん・以下同)

 

 岡林さんは最愛の息子の死を、ただの水難事故として片づけることに疑問を感じている。

 

 警察発表では、優空くんは22日、同じ小学校の1~5年生の友人4人と川で遊んでおり、午後5時頃、友人らは、1人で仰向けで“ラッコ泳ぎ”をしていた優空くんが水に沈んでいくのを目撃。怖くなって立ち去り、このことを大人にも伝えなかったというのだ。

 

「警察の説明にも、その説明を受けて書かれた新聞記事にも違和感しかありませんでした。ぼくは事故現場に何度も足を運び、警察にも何回も話を聞きましたが、矛盾だらけだった。真実はなんなのか。それを知りたい一心で、目撃談でも伝聞でもなんでもいいから、ツイッターで情報を求めたんです」

 

 岡林さんが、ツイッターで情報提供を呼びかけたところ、多くの目撃談が集まった。それらの情報を収集する中で、岡林さんには次のような疑問が湧いてきたという。

 

「現場は、工場廃水などでヘドロがたまっている場所で、泳ぐ人などいません。それに、そもそも優空は泳げないんです。顔に水をつけるのもやっとの子が、服を着たままラッコ泳ぎ? あの子は、“助けて!”って何度も叫んでいたそうです。そんな状況にどうしたらなるんか、理解できない」

 

 さらに、優空くんの自転車が川から500mほど離れた場所で発見された。一緒にいた友人たちの証言が定まらない点も、岡林さんの疑問を深めるきっかけになった。

 

「ぼくが、友人たちに“優空が帰ってこないが知らないか”と聞いた時、彼らは“知らない”と答えていたんです。後で警察に聞かれて、ようやく一緒にいたことを認めた。目撃談などを総合してぼくが調べたところ、優空が溺れたのは、午後2時40分から3時20分の40分間。そして友人たちは3時半から6時半まで、なぜか何度も現場に戻っていたそうなんです。空白の40分の間に本当は何があったのか…その友人たちには何度も聞いてもらっていますが、今はもう“黙ってしまう”そうなんです」

 

◆ただ真実が知りたい──この一心

 

 岡林さんのツイッターが注目され、応援の輪が広がる一方で、ネットの掲示板には、彼の活動を非難する声もアップされている。

 

《町内会の回覧板回しも気を使うほどギスギスしています。子供たちも学校で不安な空気があります。どうしてネットで騒いで大ごとにしようとするのか理解できません》

《子供たちの生活を乱さないでほしい》

 などといったコメントも散見される。

 

 しかし、岡林さんは、友人たちを糾弾したいわけでも、町内の空気を乱したいわけでもない。なぜ息子は死ななければならなかったのか。ただ、真実が知りたい――その一心なのだ。

 

「優空は未熟児で生まれたんです。小さくて保育器から出ることができなかった。妻も産後、体が回復するまでに時間がかかったので、生後数か月間ずっと、ぼくは仕事終わりに病院に通っていたんです。優空は、必死に“生きたい”って頑張って成長してきたんです。

 

 名前は妻がつけました。空をイメージして、“限りなく優しい子であってほしい”という願いをこめたんです。大事に育ててきた子なんです。なんで、こんな形で別れることになったんか…」

 

 優空くんには弟がいる。まだ4才。人の死を明確に理解できる年齢ではないだろう。

「でも、ぼくが警察で優空の遺体と対面して帰ってきたら、次男が“お兄ちゃん、お星さまになったね”と言ったんです。ぼくも妻も“優空はもう帰ってこない”なんて一言も言っていないんですが、幼いながらに感じ取っていたのかなって…」

 

 警察は、現状、水難事故として処理しているが、岡林さんの希望さえあれば再捜査に着手することも可能だという。

 

「刑事さんには“再捜査を望むなら、刑事告訴してもらえればわれわれも動けます”と言われました。でも、警察はぼくが動くまで、川の水位を測ることも、付近を通る車のドライブレコーダーの提供を求めることも、熱心にやっていないように見えた。告訴しても期待できません。

 

 時間の経過とともに目撃情報も減ってきましたし、正直、行き詰まってきています。だからこそ、あの日一緒にいた子たちには、本当のことを話してほしい。ただ、それだけなんです」

 

 当日、一緒にいた友人たちもまだ子供だ。彼らもまた心に深い傷を負っているかもしれない。その1人の親に話を聞くと、憔悴しきった様子で、「あの子らは、“なんとかせなあかん、助けよう”って思っていたんです…」と、重い口を開いた。

 

「パニックになって話が二転三転することは子供でもありますよね。(優空くんが行方不明になった)その日、夜の8時頃、警察が家に来て、11時半まで話を聞かれた。そこから“うちの子を連れて実況見分したい”と言うんです。真っ暗な下田川での見分が12時まで続きました。もちろん、それは必要なことやと思います。でも、真夜中に5、6人の警察官に囲まれて、友達がいなくなった川に連れて行かれて…あの子は調子が悪うなって硬直してしゃべれなくなってもうたって。それを警察は“何も言わなかった”と説明し、相手側は“保身”と捉える。その気持ちもわかります…。

 

 子供たちは本当は助けを呼んだんです。それでも助けられなかった。それがうまく伝えられていない。私らがそう説明したところで、うまく伝わるとも思えん。今はなんで最初から警察に“助けを呼んだけどダメやった”って言えんかったんか…って」

 

 遺族はもちろん、一緒にいた友人たちやその親にとっても、話が食い違う状態が続くうちは、苦しさが消えることはないだろう。人の記憶は、どんどん薄れるからこそ、真相の究明を急がなくてはならない。それが何より優空くんにとって最大の供養になるはずだ。

※女性セブン2019年9月26日・10月3日号