風邪を引くこと悪い事と決めつけている節も今は気に掛かります。

 

もちろん体調を崩すことで予定や仕事の動きが変わり周りに迷惑をかけるのでいいことではないです。でもそれは【他人だから】だと思っています。

 

家族が体調不良になって動けなくなった時にそもそも怒りの感情が沸く事はほとんどの場合無いはずだからです。

 

そもそも健全なコミュニケーションの中の大前提【信頼、尊敬、尊重】に重きを置いて考えた時、家族が風邪をひいて第一に思うのは「心配」だと思います。

 

つらくないかな?悪化しないかな?

早く良くなるといいな。と何かしてあげたくなるのが当たり前かと思います。

 

補足ですがなぜ殆どの場合と述べたかというと、例えば体調が悪いのにそれを隠して頑張りすぎたり、平然を装った時に、「何かあったらどうするの?」と怒る事があります。これは心配という一次感情よりも瞬間的に、もっと大変な事になって危ないのに無茶しないで!という二次感情が前にでて怒りを表現する場合があるかもと思ったからです。

 

 

ですがこの頃の私は

仕事をしてる私の方が間違えなく負担が大きいのになぜお前の方が風邪を引くんだ。とか

せっかくの休みでお出かけのイベント入れていたのに潰れたじゃないか とか

自分の価値観、考え方、理想だけを妻さんにぶつけていました。

 

もちろん昨年年末に夫婦揃ってインフルエンザになり、息子娘は陰性だった時に一緒に今にいた時は感染したらどうするんだと思いおこった時もありますが、だとしても一次感情を意識してそれを怒らず伝えるべきだったと思っています。

 

 

このように私はさも自分が頑張って働いて、意識して体調も崩さず、休みの日にはどこかに連れてくいい夫。

 

と思って生きていたわけです。

 

ですがそれは大きなまちがいであったと言い切れます。

 

 

まず、妻さんが仮に風邪をひきやすいなら妻さんの体調面を考慮した家事育児の分担バランスを構築すべきでした。

タイミングを見て早く帰ったり、臨機応変な対応が必要だったと思います。

 

そして私自信が難なく仕事を毎日できること、これは間違えなく妻さんの支えがあったからだと思っています。

今の私は朝は菓子パンをかじり、昼は食べず、夜は牛丼で乱れきりの食生活。

幸い洗濯は乾燥機を使いながらどうにか行い、休みの日に掃除したりカビ取りしたり・・・

 

いつも綺麗な環境で生活できていた事は全て妻さんのおかげだったこと身に染みています。

本当にありがとうございます。

 

 

そして、休みの日にはどこかに連れてくいい夫。ここがとても厄介な考えであったと考えます。

 

大前提として、【妻さんは休みの日にお出かけすることを望んでいたのか】ということです。

 

私は休もに日に家に籠って・・・というのが苦手なタイプです。なので休みの日こそおしゃれなカフェに連れでいきたい。

買い物をしたい。美味しいものを食べたい。と思っていましたし、妻さんも喜んでいてくれていると思っていました。

 

 

でもこれって全て私の物差しなんです。美味しいものも人によって違うし、家でゆっくりしたい気分かもしれない。

疲れていて休みの日はずっと寝ていたいかもしれないし、他に行きたい場所があったり友人や家族、一人でその時間を有意義に使いたいかもしれない。

 

私は全て自分の考えだけで物事を考え実行していました。

 

 

私がDV加害改善プログラムを受ける中で出てきた考え方で

「物差しを二つ持ちましょう」というのがあります

 

自分の価値観の物差しの他に、伸び縮みする相対する相手の人の価値観に合わせた物差しを自分の中に用意すること。

 

そしてそのためには相手の価値観を知らなければいけないので相手の話をよく聞き、わからないところや重要なところが曖昧であれば質問をすること。

 

という講座でした。この考え方は私の中に今までないもので、今の人と関わる上で私の重要なものの一つとなっています。

 

 

コミュニケーションは傾聴。そして相手のためのもの。

自分だけが気持ちいいコミュニケーションなんてコミュニケーションではない。

 

忘れず続けていきます。