グラン・トリノ
★★★★’:75点
世間での評判がもの凄く良く、期待していた映画「グラン・トリノ」。しかし、うーーーん、微妙な評価となってしまった。後から色々考えて80点以上をつけたい気持ちもあるものの、ここは鑑賞直後の率直な感想を重視した。
監督・主演のクリント・イーストウッドは良かったが、個人的にはちょうど1週間前に観た「スラムドッグ$ミリオネア」の場面転換の早さ、ぞくぞくするような不思議な熱気、めくるめく映像の方により鮮烈な印象を受けた。
また、イーストウッド監督作品では、より分かりやすく感じた「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」「硫黄島からの手紙」の方を上に置く。ただし、これはあくまでも好みの問題であろう。
【注:以下、映画の内容に触れています】
最愛の妻を亡くしたウォルト・コワルスキー(イーストウッド)。自分の思い通りに育たなかった息子や孫たちからは嫌われ、愛想をつかされる。いつも苦虫を噛みつぶしたような顔で、時々低い声で唸る偏屈じいさんぶりは見事。時々パブで旧友と語らう程度で隣人と交わることもなく、殆ど毎日を家の前のテラスで1日中新聞を読んだりビールを飲んだりして過ごしている。この孤独感というか寂寥感は味わいがあった。そして、ひょんなことから、それまで様々な偏見を持ち毛嫌いしていた隣家(アジア系移民であるモン族)の姉弟と心の交流が始まる。モン族の人たちの親族が助けてもらったことに対する感謝の仕方(次々と花や食べ物を主人公の家に運んでくる)などはとても面白かった。そして、この隣家の姉・スーがとても素晴らしく、頑ななウォルトの心が少しずつほぐれてくる経緯も説得力あり。
スーの弟のラオ。ウォルトは彼に車の洗車や向かいの荒れ果てた家の補修をさせ、男の会話を教え、建設現場の仕事を世話してやる。内にこもりがちで好きな女の子に声もかけられなかったラオの心も少しずつ外向きに明るくなっていく。また、それを通じてウォルトも少しずつ変化していく。この教育物語をもっと感動的にすることも可能であったとは思うが、イーストウッドはそのような描き方をしなかった。また、深刻な病に冒された主人公の窮地をラオが救うといったようなストーリーにもできたはずだが(私はきっとそうなると思いこんでいた)、そのようにもしなかった。ありきたりの感動物語にしなかったその手腕は凄いと思う。
ラオに何度もちょっかいをだす悪ガキども。いったんは、ウォルトが彼らの一人を叩きのめして一件落着に思われたが・・・。自分の軽率な暴力的行為が新たな悲劇を生んでしまったことで、ウォルトはあっと驚く戦いを挑む。この彼の考え方の変貌が最大のポイントなのだろう。
何かあればすぐに銃を手にする主人公。悪ガキたちの何人かを撃って征伐することも可能であっただろう。しかし、それではスーやラオたちがまた狙われるという繰り返しになる。それを避けた、そして、スーたちに殺し・殺されることが永遠に続くようなことは決して考えるな、するなということを自分の命をかけて教えたということか。その非戦の戦いが胸をうつ。ただ、私はそのことが理解できておらず、ウォルトが銃弾に倒れたシーンでは「えっ?」と思ってしまい、彼の死には唖然としてしまった。そして、やっと彼の戦い方と教えに気付いたのだった。
ラウがもうちょっと男として成長する姿が描かれると思っていたが、そこまでに至らず。また、愛車グラン・トリノの車自体の魅力についても、もっと丁寧に詳細に描いても良かったのでは?という気がした。考えてみると、採点の低さは、私の想像と実際の映画が色々と異なっていたこと、イーストウッドの描き方・考え方が私自身の感性とちょっとフィットしなかったということによるのかもしれない。いや、それよりもここは私の見方の浅さ・甘さなのだろう。微妙な評価となったが、凄い映画である。
◎参考ブログ:
アイリスさんの”To be continued.”