2週間ぶりのこのシリーズです。前回はこんな感じ。
今回は運動会シーズンだったという事もあり、その時のお話。
上息子君の園は新設のために、息子が年中の時は、年長さんと同時保育でした。
そのためずっと年上のお兄さん・お姉さんと同じ場所にいて、活動していていて、
運動会も同じようにお遊戯や競技に年長さんと参加しました。
年中さんでの運動会の時のお話。
各学年のお遊戯や競技が終わり、最後は年中・年長クラスのリレーでした。
息子は若干不安定ながらも歩く・走るができるので、参加していました。
リレーは抜きつ抜かれつのデッドヒートで進み、少し先行した状態で息子の番に
なりました。普段走るのは好きで、黙っていても走り出したりする(結構困る…)の
ですが、この日に限ってはなかなか走り出さず、走りものんびり。途中で止まる始末。
当然追い抜かされつつも、何とか次の走者につなぎました。
その後この遅れが響いてそのまま負け。いわゆる戦犯です。
その時、同じチームでアンカーをしていた年長さんがお母さんに
「○○(息子)君が遅かったから負けた。」
と言っていました。それを聞いたその子のお母さんは
「そんなこと言ったってしょうがないでしょう。(障害があるのだから)」
と子どもを少し諫めるような言い方で話をしているのを小耳に挟んでしまいました。
( )内は私の補完ですが。
その言葉を聞いたときに思ったことは、
「うちの息子をちゃんとチームの一員として見てくれているのは子どもの方だ。」
と思い、ありがとうと思いました。
同じチームとして力を合わせて競技に参加している。だから責任がある。何か特別枠の
ような「別物」として扱わず、あくまでもチームのメンバーだから責任があるという、
非常にフラットな見方をしてくれていたわけです。一方でお母さんの言葉こそが
「この子は別物(異質)」というのがあるわけです。
本質的にはお母さんのように考えるのが当たり前。子どもの言葉は無神経なもので、
もしかしたら傷つく人が多いのは子どもの言葉かもしれません。でも、そこには
普通にそこにいることを認めてくれている何かを感じました。
そしてまだ5歳児です。訳知りな顔して「しょうがない。」というよりも、競技で勝ちたかった。
家族にいいとこ見せたかった。といった素直なくやしさを表現することを抑えるのは早い
ように思います。
保育園という発達段階の幼い子どもの集団の方が、我々が思っているよりもずっと
色んな事をフラットにして生活しているのだなと感じた運動会でした。
ではまた。
