きついニュースです。

 

 

記事内で書かれているお子さんの状態

・言葉でのコミュニケーションが難しい

・便意を教えられない

・入浴全介助

・車道に急に飛び出す

・急に激しい行動を起こす

 

今の上息子とほぼ同じです。

 

まだ7歳ということや、夫婦がそろい弟がいること、祖父母が近隣にいること。

これらの要素があっても気分が落ちることや、将来への不安、そして自分たちで

どうにかしなければいけないといった、追い込まれた気分になることがあります。

 

この母親は我が家のような援助が一切なく、お子さんの障害のきっかけが誤診で

ご本人も患われていたとのこと。支援学校卒業を控え就労・支援につながらず、

社会と子どものつながりが切れ、本当の意味で「二人だけ」になることを突き付けられた。

母親本人も本来なら支援される側という存在。

 

「もっと他に方法があったのでは?」という声も上がるでしょうが、私の勝手な想像では、

「なかった。」と思ってしまいます。同じような状況に自分が陥った時、その最悪の選択を

しないでいられるか。少なくとも、この母親は他の選択肢を見つけられなかったのでしょう。

 

実はここからが本題なのですが、

 

「選択肢がない。」

 

これ母親の責任なのでしょうか。

 

「周囲に相談できなかったのか。」

 

そもそも、それができればこの事件は起きていないでしょう。自分の置かれている

状況を冷静に受け止め、評価し、その結果を誰かに相談したり助けを求める。

これはある程度ゆとりがないとできないことだと思います。「家族の自分がやらなければ」と

自分に強いてしまう。これでは「誰かに相談する」ゆとりなど生まれません。

 

子どもが支援学校に通い、母一人子一人であること。これを行政は把握できていた

でしょう。それなのになぜ、、最悪の選択になってしまったのでしょう。

 

相談し、支援を受けたい人が手を挙げる。その人に手を差しだすことはもちろん大切

ですし、その方が早く正確に必要な支援へと移れるでしょう。

 

しかし、手を挙げられない。手のあげ方がわからない。手を挙げてはいけないと

思いこんでいる。そのせいで行政や福祉サービスに適切につながれない。

 

このような悲劇的結末予備軍という状況のご家庭は少なからずあると思います。

行政はこのような家庭とどのようにつながるべきなのか。周囲の人間は、どうかかわる

べきなのか。

 

介護者が「ごめんなさい。」と言わないいためにはどうすれば良いのか。

 

改めて考え続けなければならない問題を提示した、本当につらいニュースでした。