何ともいえないタイトルですね。
この事件の報道に接し、思ったことです。
報道によると、介護疲れの可能性との事です。病気で不自由になった夫と、生まれながらに
寝たきりの息子を1人で介護していたようです。
ぞっとしました。
「ウチもそうなるかもしれない。」という事が、リアルに突きつけられた気がします。
家族が介護する。
しかし、私と妻も当然歳をとります。今のように体が動くのもあと何年でしょう。突然どちらかが
病気になり、介護される側になることだってあり得ます。妻がそうなったとき、果たして私は2人の
介護をできるのか。そんなこと、1人でできるのだろうか。
考えれば考えるほどぞっとします。精神的・肉体的限界が来たとき、同じ行動をとらないと
はっきり言える自信さえ揺らぐほどです。
「でも家族だから…」と考えてしまいます。
しかし、この考えは正しいのでしょうか。当たり前なのでしょうか。
家族はただ「家族だから」ということで介護者になります。専門性も持たずに、24時間365日です。
それで良いのでしょうか。
介護疲れによる事件は年に数回は聞きます。大切な家族を殺める。そこまで追い詰められる。
それで良いのでしょうか。
地域や行政は、手を差し伸べることはされているでしょう。十分とは言えないかもですが、
そこにつながることで救われる面はあります。
ただ、その差し伸べられているはずの手を、我々は「家族だから…」という呪縛で見逃しては
いないでしょうか。家族は介護者にならなければならないのでしょうか。残りの人生をその
ためだけに使わなければならないのでしょうか。それは介護者・要介護者にとっての良い
未来なのでしょうか。
我々自身、そこにとらわれることから抜け出す必要があるように思います。
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