もともと普段からアクティブに行動していたのですが、病気が発覚してからは安静に!ということなので、小学生ぶりに本に触れる機会が多くなりました。





そこで、私が出合った本が「旅をする木」です。






そこには、私が今までの旅や海外留学でいったフィリピンやワーホリのカナダで出合った大自然で感覚的に感じとって、未だに言葉にできていない(妥当な言葉を探せないと言った方が的確でしょうか)自分の宝物としてそういう内にひっそりと秘めている感情や場面の数々を、美しい言葉でそのままに代弁してくれているような本でした。






読めば読むほど、作者である星野さんの素直な感性や文章表現のセンス・豊かさ、ありのままを捉えるキレイな眼にただただ感動し、ため息をつくばかり。行ったことのないアラスカにあたかも存在していたと錯覚させられるくらいです。






底のない好奇心とたまにもう一つの世界に想いを馳せる部分は、星野さんの足元にも及びませんが、勝手ながら親近感を覚えるところでした。







私が好きな章「もうひとつの時間」からのある文を紹介します。







「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって。」


「写真を撮るか、もし絵が上手かったらキャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」


「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・・・・その夕陽を見て、感動して、自分がかわってゆくことだと思うって。」









カナディアンロッキーで見た雪山と氷河。「人間を拒絶するような壮大な自然」とはこういう風景だと解釈しています。







言葉にすればこの神々しい景色もその時に五感で感じた何とも言い難い感情も、薄っぺらく陳腐なものになってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

旅人が抱える共通の悩みではないでしょうか?








私はいつか星野さんみたいに感じたことをありのまま表現できる人になりたいです。