ブルース・リーは、功夫(グンフー)をアートと捉えていました。
そして、「グンフーはあらゆる武術のなかで最も優れたもの」と信じていました。
それは、柔道や空手を中国的な派生物とみなすほどでした・・・(1962年9月、友人への手紙より)

書籍「詠春黐手」よると、ブルース・リーは剛柔流の型を見て、洪家拳の”三展”と源を同じくしていることを発見しました。
もしかしたらブルース・リーは、すべての日本武道が中国武術に影響を受けていると考えていたのかもしれません(><;)
確かに、空手は中国の鶴拳などの福建系の南派拳術と類似が多いようです。

検証できませんが、琉球在来の武術”:ティー”が、中国武術と融合し、”唐手:トウーディー”になった考えられています。
島津家の琉球禁武政策(武器の所有を禁じる政策)のために、琉球人が素手で相手を倒す術を発展させたのでは?と思われます。

ブルース・リーは、海外で出版された大山倍達師範の著書「This is Karate」を読んだ感想でも、空手を中国武術より格下に見ています。

技術の実際の応用の面では(グンフーに)まだまだ遠く及ばないもの
オーヤマはグンフーの理論がもっとも素晴らしく実際的だと認めている

でも、、、唐手は分かるが、柔道は中国的な派生物ではありません。
天神真楊流起倒流などの柔術を母体にしたスポーツです(><;)

さらに、講道館柔道は、グレイシー柔術に影響を与え(ロシアのサンボもですが)、打撃格闘技の天敵とされています。
ちなみに、一時最強の格闘技とまで言われたグレイシー柔術にも敗北の歴史があります。
1951年10月23日にブラジル・リオデジャネイロのマラカランスタジアムで、グレイシー最強の男:エリオ・グレイシー(当時42歳、63kg)は、柔道王:木村政彦(当時34歳、93kg)に試合で初の一敗を喫しています。

話しはすごーく飛びますが、現在でも中国では、秘宗拳の達人:霍元甲は日本人医師秋野に毒殺された信じられています(?_?)
上海にいた日本人柔道家との試合に勝ったため、逆恨みされたというのです???

実際は、日本人柔道家が交流を申しでて、国民的英雄の霍元甲を招きました。
お茶を飲みながら友好的に日中武術の比較論をし、話の流れで試合がおこなわれたようです。
柔道家が大外刈りで倒そうとすると、一瞬早く、霍元甲が相手を押し飛ばしました。
日本人はベランダまで跳ね飛ばされ、右腕を骨折してしまいました。
しかし、不幸な事故はおきましたが、遺恨を残すような交流ではなかったようです。(多くの中国人は認めたがらないようですが・・・)

となみに、霍元甲毒殺説の後日談の映画が「ドラゴン怒りの鉄拳」です・・・
この映画の中で使われた遺影は、本物の霍元甲の肖像写真です。
道場に掲げてある写真は、講道館の嘉納治五郎( ̄_ ̄ i)
そして、日本人はブルース・リーにボコボコにされています(☆。☆)