★直腸癌ステージⅢb寛解★

PART2②/4

◆◆ 承② ◆◆

 

 

◆◆ 承 PART2②/4 ◆◆ 続き

6、ながらワーカーとしての勤務

 

 このころの仕事は、体調も万全ではなくかなり厳しい状況で、勤務先では勤務する事自体でいっぱいいっぱいに近い状況でした。

 職場でもオストメイトとしてストーマの関連での排便に加え、復帰後約1年間は、勤務先での導尿カテーテルでの排尿もあり、痛いし非常に煩わしかったです。

(導尿カテーテルは清潔に保つ必要があり、保管は専用の容器に専用の溶液(使ってはいませんがイメージ的にはソフトコンタクトレンズの管理に近い??)、利用後は洗浄、専用保管溶液の交換&保管等)

 

 実際にはながらワーカーでの化学療法は5クール目からでしたが、私の場合はXELOX療法(カペシタビン+オキサリプラチン)の2日後が全く起きれない状況でしたので、6クール目からは、化療初日と3日目を病休とさせて頂きました。

 

7、化学療法に関して

 

※化学療法 XELOX療法(カペシタビン+オキサリプラチン)+ゼロータに関して。

 

 人により、副作用(副反応)が違うと思いますが、イメージ的な話ですが、抗がん剤は要するに細胞を攻撃し死滅させるための薬で、主に癌細胞を第一標的に攻撃し(くっつき)死滅させるものですが、癌細胞が少ない、または、ない場合は何もしないのではなく、癌細胞が無ければ正常な細胞を攻撃し投与した分だけダメージを与えます。

 

 私の場合の副作用(副反応)は、髪の毛等は影響は無かったのですが、赤血球と手の指先の神経がターゲットになった様で、赤血球の減少による貧血(2日目が酷い)と指の痺れ(特に冷たいものを持つと痛みが走るほど)が主な副反応でした。

 指先の痺れは気になって、このまま永遠にずっと続くかと思っていましたが、化学療法終了後2年目後半から徐々に軽くなり3年目頃に消えました。

 

 抗がん剤の点滴は、体内に漏れる事が許されず、少しでも漏れるとその付近の皮膚が真っ黒になるので、実感として、化学療法部署の看護師さんが一番点滴用の針の血管内の留置に関する技量が高いと感じました。

 

8、オストメイト状況に関して

 

 ストーマ周りの傍ストーマヘルニア等で凹み気味でしたので、パウチは初めは汎用のものを利用していましたが、良く漏れるのと、標準時間の2日も(48時間)持たない事が多く(病院のお勧めは費用面も考慮し3日(72時間)で交換)、試行錯誤の結果、値段は高いですが凸型のパウチ+凸型のパウチは固定用のベルトが装着できるので、ベルトも購入し、うまく行った場合は3日持つようになりましたが、今もそうなのですが漏れると、精神的に凹みますし、着衣一式の交換や寝具にも影響した場合は大事になります。特に冬は寒い中での交換は風呂でシャワーも必要ですので大変と言う事と眠れず、翌日の仕事は寝不足で辛かったです。

 また、ベルトでは少し弱い事も有ったので、ベルト以外にもパウチのサイズに合った穴が開く様になっている、腹巻と言うかコルセット状のものも2個買って使っていました。

 

固定用のベルト ↓ こんな感じ

 

腹巻と言うかコルセット状のもの↓こんな感じのものです。

 

また、運転時のシートベルトは申請して着用しなくて良い様にもできる様ですが、私はストーマの位置が良いようで、シートベルトを、お腹の方はストーマの下へ、片方向の斜めの部分はストーマの上に来るようにぎりぎり装着が可能です。

 

9,用具&装具以外の対応

 

①睡眠

 今は飲酒して早めに横になる(寝る)時の場合のみですが、パウチの漏れが気になり1時間半後と、寝る時に起こしてもらい確認しています。

 しかし、この当時は漏れる事が多く、翌日が休日でないときは常時1時間半位毎に起きて確認、必要ならトイレに行くようにしていましたので、睡眠が良く取れなかったです。

 それでもたまには、夜間に漏れて、着替えたりシャワー浴びたりすると、その日は寝つけず翌日の勤務が非常につらかったです。

 

 特にこの時期は、自己導尿もあったので、今思うと良く対応していたな!と自分ながら褒めてあげたいほど、日々するしかないと一生懸命対応していたと思います。

 

②薬(マグミット:便秘薬として)

 また、便が固い場合は、少しの量で便によりパウチがはがれて漏れ、また、便秘になると大量にでて、出る際にパウチの容量以上になり、いずれも漏れと言うか、パンクしてしまい大事になるので、癌には無関係ですが、今でもそして今後もずっと(習慣性の少ない)マグミットを定期的に処方して頂き、服用の量の調整で常に便秘にならない様、コントロールを行っています。

 

③飲食

 また今もですが便の質と量に加えガスがパウチのパンクに影響するで、炭酸系の飲料(このころは飲酒も控えていましたのでビール等含む)や、ガスの出やすい食事等も、特にこの時期は非常に注意していました。