以前は、何か嫌な出来事が起きたときに、その出来事を問題にしていたので、当たり前のように嫌な出来事ばかり繰り返し起きていた。

例えるなら、体の根本を治療せず、また不調になったら病院に行き、必要以上に時間とお金を費やすという無限ループのようなもの。

そんな中、自分が問題にしなければ、ほとんど問題にならない、ということに気づく。

それからは、何か嫌な出来事が起きても、たまたま今その出来事と私が重なり合っているだけで、その出来事に関係している相手が、どういう意識を持つかは相手の自由であり、私自身が決めることではないと、そこには善も悪もなく、あるのは出来事だけ、そう思えるようになった。

世の中、自分を中心として人々がいて、人は常に自分を優先していると考えると、多分?他人は私に関心がない、というか興味がないというのがわかる。

私も含め、人間は自分の興味の対象をコロコロ変えるし、他人は私に対して一切の責任を持たないし。

何だかんだと、人間は自分と誰かとの関係や出来事に意味を持たせ、判断しているだけで、誰と付き合おうが、どんな出来事が起きようが、結局は自分を生きていて、世界は自分中心に回っていることに変わりはないのかも。

ただ、時に自分を引っ込め、どこかで妥協しながら、というとマイナスな聞こえだけど、心に折り合いをつけることも大事で、人と接する無難な方法を身につけていく、それは大事な存在を守るための処世術。

自分の生き方は自分だけがわかっていれば良く、それを人に示すなどとは考えない方が生きやすい。

なるべく、自分自身が大切にしていることを基準に人間関係を構築し、できれば猫のような人間を理解できる感性を持った人と、シンプルで心地よい関係を築きたいと、最近は特に思う。

人生の手本は猫ちゃ達の生き方、結局ここに行き着く…

真生、ニャイトサファリ中。