2年前の今日、シエルが何か達観したような顔をしながら、私に挨拶をしたのが最後。
昨日まで一緒に過ごしていたのに、次の日から突然いなくなり、もう二度と会えないという現実に気持ちが追いついていかず、ただただ悲しかった。
突然の別れは、自分自身の心の痛みがどれくらいか、全くわからなくなる。
急に悲しみに襲われて、涙が止まらなくなるときもある。
ただ、時の流れとともに、その間隔は長くなってきて、いつまでも泣いていたらシエルに心配されちゃうし、また笑顔で再会したいし、それまでがんばろうって、ちょっと前向きになれたり…
全ては無常だから、自分を永遠に支えてくれるものは存在しないけれど、シエルを失った悲しみもまた、永遠に続くものではなく、2年という歳月が、私の心の波を小さくしてくれたのは確か。
幼少の頃から一緒だった愛猫達、先に旅立った尊敬する人達も同じ、いつかまた会えると信じることも、悲しみを和らげる手助けになって、少しずつ心の持ち方が変わってきたような気がする…
シエルとは、人と猫という枠を超え、対等でありながら、尊重し合う関係を築いてきた。
動物を可愛いと思うのは本能的なことだけれど、相手を尊重し、慈しみ、認めていくのは人だけではない、そうシエルから教えられた。
常日頃から肉体的に過酷な状況にさらされ、ボスとしての苦労が表情に出ていたけれど、それでも私といるときは、すごく優しい顔になって、リラックスして、可愛い姿を見せてくれたシエル。
人の気持ちがわかる猫だっただけに、本当は優しい家族に見守られ、甘えながら、穏やかな暮らしを手に入れたかったのかもしれない。
私自身、以前にも増して保護活動が精力的になったのも、シエル&ケディのことがあったから。
そして、優真やミンミンのような結末と、幸せな未来を願ってのこと…
愛する者を失って悲しいのは、沢山の愛と思い出を残し、共に生きた証があるからだろう。
それでも、どんなに悲しくても、残された者は何かが足りないまま生きていくしかないし、結局のところ愛する者を失っても、人生は続く…
この2年の間、シエルへの想いを流れのまま感じ、身を任せ、今ようやく向き合い始めた。
また、少しずつ書こうと思う。
昨日まで一緒に過ごしていたのに、次の日から突然いなくなり、もう二度と会えないという現実に気持ちが追いついていかず、ただただ悲しかった。
突然の別れは、自分自身の心の痛みがどれくらいか、全くわからなくなる。
急に悲しみに襲われて、涙が止まらなくなるときもある。
ただ、時の流れとともに、その間隔は長くなってきて、いつまでも泣いていたらシエルに心配されちゃうし、また笑顔で再会したいし、それまでがんばろうって、ちょっと前向きになれたり…
全ては無常だから、自分を永遠に支えてくれるものは存在しないけれど、シエルを失った悲しみもまた、永遠に続くものではなく、2年という歳月が、私の心の波を小さくしてくれたのは確か。
幼少の頃から一緒だった愛猫達、先に旅立った尊敬する人達も同じ、いつかまた会えると信じることも、悲しみを和らげる手助けになって、少しずつ心の持ち方が変わってきたような気がする…
シエルとは、人と猫という枠を超え、対等でありながら、尊重し合う関係を築いてきた。
動物を可愛いと思うのは本能的なことだけれど、相手を尊重し、慈しみ、認めていくのは人だけではない、そうシエルから教えられた。
常日頃から肉体的に過酷な状況にさらされ、ボスとしての苦労が表情に出ていたけれど、それでも私といるときは、すごく優しい顔になって、リラックスして、可愛い姿を見せてくれたシエル。
人の気持ちがわかる猫だっただけに、本当は優しい家族に見守られ、甘えながら、穏やかな暮らしを手に入れたかったのかもしれない。
私自身、以前にも増して保護活動が精力的になったのも、シエル&ケディのことがあったから。
そして、優真やミンミンのような結末と、幸せな未来を願ってのこと…
愛する者を失って悲しいのは、沢山の愛と思い出を残し、共に生きた証があるからだろう。
それでも、どんなに悲しくても、残された者は何かが足りないまま生きていくしかないし、結局のところ愛する者を失っても、人生は続く…
この2年の間、シエルへの想いを流れのまま感じ、身を任せ、今ようやく向き合い始めた。
また、少しずつ書こうと思う。