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HIRO'S HEROES

みんなで自分探し!
+a little bit of music!

光の見える道に進んだとしても息苦しくなって

何度も何度も繰り返して諦めたくなる

前に進まないと。って思って勘違いして

だけど辛くてもこの場所にいるだけで安心する

 

立ち止まってもいいし、無理して進む必要もない

見渡せば周りの景色も見えるのに、息を吸って呼吸も出来るのに、手を伸ばすと見えない何かにぶつかって窮屈な感じ。何に閉じ込められているのかも分からないし、誰に聞いても返事はない。いっそもっと暗い場所を探して歩きだして、膝を抱えて少し休もうか。深い深い海の底なら何も聴こえなくて、光のいらない部分だけ取り除いた明るさで周りが見える。もう少しだけこの場所でゆっくりしていたい

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 ところで僕のような我がまま者には、自己を抑制することが出来ない上に、利害交換の妥協ということが嫌いなので、結局ひとりで孤独に居る外はないのである。ショーペンハウエルの哲学は、この点で僕等の心理を捉え、孤独者の為に慰安の言葉を話してくれる。ショーペンハウエルの説によれば、詩人と、哲学者と、天才とは、孤独であるように、宿命づけられて居るのであって、且つそれ故にこそ、彼等が人間中での貴族であり、最高の種類に属するのだそうである。

 しかし孤独で居るということは、何と云っても寂しく頼りないことである。人間は元来社交動物に出来ているのだ。人は孤独で居れば居るほど、夜毎に宴会の夢を見るようになり、日毎に群集の中を歩きたく なる。それ故に孤独者は常に最も饒舌の者である。そして尚ボードレエルの言うように、僕もまたそのように、都会の雑沓の中をうろつい たり、反響もない読者を相手にして、用にも立たぬ独語などをしゃべって居る。

―中略

 しかし僕の孤独癖は、最近になってよほど明るく変化して来た。第一に身体が昔より丈夫になり、神経が少し図太く鈍って来た。青年時代に、僕をひどく苦しめ た病的感覚や強迫観念が、年と共に次第に程度を弱めて来た。今では多人数の会へ出ても、不意に人の頭をなぐったり、毒づいたりしようとするところの、衝動的な強迫観念に悩まされることが稀れになっ た。したがって人との応接が楽になり、朗らかな気持で談笑することが出来てきた。そして一般に、生活の気持がゆったりと楽になって来た。だがその代りに、詩は年齢と共に拙くなって来た。つまり僕は、次第に世俗の平凡人に変化しつつあるのである。これは僕にとって、嘆くべきことか祝福すべきことか解らない。

萩原 朔太郎. 『萩原朔太郎全集』 Sakutaro Hagiwara Complete works. Kindle 版. 
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 孤独を心地よく感じると同時に、平凡な生き方に嘆きたくなることがある。人知れず苦労を経験してきた人にはこういったタイプが多いのかもしれない。より良い理解者を求めた結果、そのような人が現れると安心する自分に満足できなくなるのだ。面倒な性格だが、生まれて死ぬまでの短い期間、そんな生き方もいいだろう。しかしながら、そんな自分の人生に重きをおいて誰かが悲しむのは本望ではなく、悲愴な誤解が生まれることは何よりも悲しい。少しでも、近くの相手の気持ちを考え、近くの相手を癒せる人が増えることが願いである。