最近、
クライアントの方々と、
対話について一緒に考える機会が続いています。
実際に対話を進めてもらい、
ファシリテーションの様子を見たり、
終わったあとに、
「あの時、いったい何が起きていたのか」
を共に振り返ったりしています。
そんなことをしている中で、
あらためて、
対話って、何なんだろう・・
と、思うことがしばしばありました。
的確な問いをすることなのか。
相手の本音を引き出すことなのか。
お互いを理解することなのか。
それとも、
異なる意見をまとめて、
何か一つの結論にすることなのか。
きっとどれも間違ってはいない。
ただ、
とても丁寧に質問しているのに、
なぜか場が少し窮屈に見える時がある。
反対に、
何もたいしたことをしていないのに、
ある瞬間、
誰かのある言葉をきっかけに、
その場の空気が一変し、
それまで誰も考えていなかったことが、
フワッと出てくることもある。
この違いは何なのだろう。
そんなことを考えながら、
自分がこれまで感覚的に捉えてきた
「対話」
をスライドにしてみました。
理論として整理したものではありません。
いまの自分には、
こんなふうに見えている、感じている、
そんなものを、少しずつ辿ってみます。
まだ、何もない
参加する人がいて、その場がある。
まだ、何もない。
でも、
対話をしようとすると、
テーマ、問い、ゴール、など、
いろいろと準備をします。
もちろん、それは必要。
ただ、その前に、
まだ何も決められていない状態
がある、
そのことを、そのまま置いてみました。
「空(くう)」 と置いてみた
そして、その真ん中に、
空(くう)
という一文字を置きました。
最初は、
何もないようで、
何かが生まれそうな感じがする、という意味で
「真空」という言葉を使っていました。
ただ、どうも違う。
宇宙空間とか、科学とか、
そんな感じが先に立つ気がして、
いろいろ考えた末、「空」にしました。
何もない、とも少し違う。
まだ何も決まっていないから、
逆に、
何かが生まれる可能性がある。
そんな感覚です。
まだ、誰の意味でもない
その「空」をもう少し言葉にすると、
まだ誰か一人の意味づけによって占有されていない余白。
そんな意味で捉えています。
対話をしていると、
「こういうことですね」
と、
相手の言っていることを理解して、
整理して返すことがある。
ただ、ときに、
その返しひとつが、
まだ決めなくてもよかったものを、
少し早く決めてしまうことがある。
沈黙、余白、間(ま)、
まだ分からないものを、
もう少し分からないまま置いておく。
私がここでいう余白は、そんな感じです。
それぞれのナラティブ
一方で、
そこに集まる人たちは、
何も持たずに来るわけではありません。
それぞれに、
ナラティブがあり、コンテキストがあり、
これまでの経験や、それぞれの解釈や感情があります。
同じ会社にいても、見えているものは違う。
同じ出来事を経験しても、感じていることは違う。
同じ言葉を聞いても、受け取り方は違う。
当たり前のことなのですが、
対話になると、
なぜか私たちは、
早く分かり合おうとすることがあります。
でも、
もしかすると最初に必要なのは、
違う人たちが、
違うまま、そこにいること
ただそれだけなのかもしれません。
「引き出す」ではなく「持ち込む」
そこから、誰かが、
自分の内側を少しずつ場に出していきます。
経験したこと、感じていること、気になること、
うまく言葉にならないことも含めて。
図には、
「持ち込む」
と書きました。
対話に関わる際、
「引き出す」
という言葉を耳にすることがあります。
「引き出す」というと、
主語は場のファシリテータ。
ファシリテータが、
うまく問いかけて、相手の中から何かを取り出す。
でも、そうではなく、
それぞれが、
自分のものを、そのまま、この場に持ち込める。
そう考えると、少し景色が変わります。
主語が、
一人ひとりに戻る感じです。
誰かのものに、誰かが触れる
そして、
持ち込まれたものに、誰かが触れます。
聴く。問う。受けとめる。
ここでいう「受けとめる」は、
違うと思ってもいいし、
よく分からなくてもいい。
ただ、
その人がそう感じていることを、
すぐに自分の理解に置き換えない。
そうしていると、
重なるところもあれば、
ずれるところも出てきます。
この『ずれ』が、
案外大事なのでは、と思っています。
対話なのだから、
最後には分かり合わなければ。
一つにまとめなければ。
そう思えば思うほど、
せっかく出てきた違い、ずれを、
早く消してしまう。
違いを消さずに、
そっと、そこに置き、眺める。
すると、
そこから別のものが見えてくる、
のかもしれません。
ファシリテータも、そこにいる一人
では、
いったいファシリテータはどうするのか。
ファシリテータも参加者と同様、
経験もある。考えもある。
自分なりのコンテキストもある。
なので、
透明人間になる必要はありません。
ただ、
自分のコンテキストを、
場全体のコンテキストにしてしまわない。
図には、
「自分のコンテキストを持ちながら必要最小限の『問いと承認』」
と置きました。
場の外から操作する人ではない。
でも、場の意味を代表する人でもない。
このあたりは、言うは易し、
でも、実践するのは、なかなか難しいところです。
スキルの前に、状態がある
もう一つ、
ファシリテータの問い方や聴き方が巧みなら、
良い対話になるかというと、
必ずしもそうとは限りません。
図では、
心理的安全性
フラット
いまこの瞬間
という対話を支える言葉を置きました。
何かを言っても大丈夫だと思えること。
肩書きや立場だけで、言葉の価値が決まらないこと。
そして、
いつもの正解や、過去の経験だけでなく、
いま、この場で何が起きているのかに目を向けられること。
例えば、
会社や組織の参加者だと、
上司と部下が
本当に同じ立場になるわけではありません。
組織における責任も役割も違います。
でも、
少なくともその場では、
「どんな立場の人が言ったのか」
ではなく、
「何が言葉にされたのか」
をみる。
そんなフラットさが大切になります。
何をするか、よりも、何をしないか
ファシリテーションを学ぶと、
どうしても、
どんな質問をすればいいのか。
どう介入すればいいのか。
どう話を深めればいいのか。
という、
「何をするか」
に目が向きます。
でも最近、それ以上に気になるのが、
「何をしないか」
ということ。
図には、
場を動かさず、場が動ける状態を保つ
と書きました。
意味を先に決めない。
相手の既成概念をこちらが外すのではなく、
自分たちで気づける余白をつくる。
ときには、
問わない。説明しない。まとめない。
そして、次に進まない。少し待つ。
沈黙になると、
何かしなければ、
と思います。
でも、もしかすると、
沈黙を埋めるのではなく、
沈黙そのものがそこにいられるようにすること。
それも、
ファシリテータの大切な仕事なのかもしれません。
そして、何かが立ち上がる
それぞれが、
自分のものを持ち込む。
誰かが触れる。
聴く。問う。受けとめる。
重なる。ずれる。
その違いを、急いで消さない。
ときには、沈黙や間もある。
そんな時間を過ごしていると、
不思議なことが起きます。
誰も言っていなかった言葉が出てくる。
誰も持っていなかった見方が生まれる。
すると、
それまでとは、少し違う関係になっている。
それを、
「場のコンテキスト」が立ち上がる
と置いてみました。
それは、必ずしも合意ではありません。
全員が同じ意見になることでもない。
むしろ、
誰にもなかった意味、見方、関係。
それらが、
場から生まれてくる。
誰か一人が、つくったわけではない。
でも、確かに、さっきまではなかった。
そこが、
対話の面白いところなのかもしれません。
ーーー
対話について考えていたのに、
最後に残ったのは、
良い問いのつくり方でも、
上手な進め方でもなく、
「余白」
という言葉でした。
誰かが、
何かを話したとき、
すぐに、解釈しない。
すぐに、こたえを探さない。
すぐに、次へゆかない。
ほんの少しだけ、
そのままにしてみる。
そうすると、
こちらが意図していなかったものが、
フワッと、
そこから立ち上がることがあります。
もしかすると、
対話を「つくる」というより、
対話が生まれてくる場所を、
ただ、空けておく。
いま、そんなふうに感じています。
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(以前、飛行機から見えた景色。あらためて、理由なく美しい・・・)
